小生は21:15に南武線西府駅にて木村車へ合流。運転を交代しながら1:00前には前泊地のエトーレへ到着したように思う。今回は少人数パーティーで大酒飲みもいないので、静かな宴会となった。
週半ばに昇温があり、その後の降雪が続いている状況であったため、出発前からこの日の入山はほぼ諦めていた。朝まで降り続いている状況だったので、事前の相談どおりこの日はゲレンデ滑走とし、シャルマンへ向かうことにした。
しかしリフトを上がって滑ってみると新雪は5cm程度。肩透かしも甚だしい。しかも光の加減で雪面の凹凸がまったく見えない。小生は滑り出して数十メートルのところで1mほどの段差を落ち、ブーツを壊してしまった。石黒さんはファット板のレンタルをしたが、性能を発揮するほどでもなかったでしょうか。だましだまし4本滑って昼食となったが、食堂でブーツを脱いでみると改めての滑走は難しいほどに壊れていた。ブーツをレンタルして滑るほどのコンディションではなかったので午後は食堂で昼寝とした。ゲレンデのほうはお昼を過ぎると人影がまばらに感じるほど空いていた。
2時頃には上がって、妙高方面へ戻り始めた。翌日の滑走に備えて、スキーブーツのレンタルを赤倉まで付き合っていただく。それなりの品揃えをしていそうな店をHPで探し行ってみた所、店員2名は英語しか話せないという状況。日本のスキー場は外国人に助けられて成り立っているのだと感じる。今ほど外国人が来ていなかったらスキー場はもっと潰れていたのかもしれない。
赤倉から宿への道中で道の駅あらいのキトキト寿司へ寄る。お酒を飲まない木村さんにお許しをいただき他の3人は美味しいビールにありついた。一人4千円は食べすぎだという話になったが、飲んだ3人はみな3千円台後半の会計。よく食べました。
この日の宿泊は妙高市西野谷の友楽里館。しっかりした設備で3500円/人は抜群のコストパフォーマンスである。そのせいか部屋はほぼ満室。温泉がかけ流しだったら最高だが、贅沢というものだろう。大した疲れでもなかったので、夜も比較的皆さん元気。それにしても過去の滑走ビデオは酒のつまみとして本当に絶好である。23時ごろにはお開きとなった。
おのおの朝食を取り、宿の出発は7:30。駐車場へ出てみると足元はぐしゃぐしゃの雪で、降っているのはみぞれ〜あられ。早々に意気をそがれるが、取りあえず次回のためにもということで、除雪終点を探し当てて準備を始めると新井消防署員が登場。1月の雪崩事故があってから週末には巡回に来ているとのこと。いかにもという感じの話好きの方で、あっちが危ない、こっちも危ない、と危ない話ばかりを何度もループで語ってくる。親切心は感じてありがたいのだが、いつ終わるとも知れないし危ない話ばかりでは意気は上がらない。15分くらい聞いていたら新しくスキーヤーが現れたのでやっと解放された。
雪崩リスクもあるだろうし、新雪もぐしゃぐしゃだし、散々危ないと言われた後なので、皆積極的に登りたいという気持ちにはなっていないようだったが、せっかく来たのだから次回のためにもということで、まずは尾根取り付きまでということで出発。万代川沿いにゆるゆると登って行く。今回は比較的余裕のある行動になりそうだったので、地形図に目をやりながら登って行くことを心がけた。それでも現在地をぴったり当てることはかなり難しいと感じた。読図のトレーニングはまだまだ足りていない。
1時間で尾根取り付きに達し、小休憩。取り付く尾根を探すが特徴的な地形がなくよくわからない。一番安全で登りやすそうな場所からということで登り始めた。しかし狙っていた筋とは微妙にずれていて、560mのところで行き詰った。雪が安定していればトラバースで本来のルートへ戻れるが、なんかちょっと気持ち悪い。今日のコンディションで犯さなくても良いリスクを取ることはないだろうという結論に達し、今回はここで登行を終了して滑り出すことになった。時間があったのでピットチェックを行ってみた。結果はCTM19(BRK 15cm)とCTH26(RP 35cm)。65cmにあった顕著なクラスト層(ざらめ?)は上下との結合がよく不安定な感じではなかった。ピットチェックの結果としては明確な不安定性は認められなかった。
滑り出してみると思ったよりは滑りやすく快適な雪。毎回感じることだが、山の中の誰も滑っていない自然の斜面を滑り降りるのは何にも代えがたい喜びである。ゲレンデの1本にはこのような喜びはないのだ。尾根を下りたところで写真を撮り、再び滑り出す。その後はほぼ滑ったまま止まることなく、15分で出発点へ戻り山行終了となった。たった15分ではあったが、これもまた思い出の1本となるのだろう。
帰途では事故渋滞もあったがまぁスムーズに帰れ、圏央道経由で西国分寺に18時前に到着した。おかげさまで新宿の石井スポーツの営業時間に間に合い、ブーツの修理を依頼することができた。山スキーの道具は体の一部のように本当に大事なので、来週の山行までに戻ってくるといいのだが…
(佐々木 記)