11日夜は青島さんの別宅の”ラクダ荘”(会津田島)に前泊させて頂けることになり、赤坂車が午前0時過ぎ、深井車は、午前1時ころに到着。青島さんご提供の地酒「春一番」を寝酒に快適に眠ることができた。
当日は午前7時過ぎにラクダ荘を出発し、国道352線経由で小豆温泉手前の保太橋に駐車し窓明山を目指す。積雪により夏道の登り口が分かりにくい。藪漕ぎ覚悟で尾根に取り付こうとするが、ザックにつけた板が藪に引っかかり、標高差70メートル程度を登るのに約1時間も要してしまった。850m付近で夏道に合流した後もしばらく板を担ぐが、やがて雪が繋が始め1006mからシールで登行できるようになった。
その後はブナの疎林が広がる快適な斜面になる。天気も良く、これぞ春山スキーといった雰囲気だ。適度に風が吹いて快調に登って行くことができた。
登るにつれて展望も開け、遠くに三岩岳の山容が見えるようになる。当初計画の目的地は窓明山であったが、出発時間が遅くなったことと、明日登る会津朝日岳の麓の集落白沢までの移動時間を考慮して、かなり手前の家向山までに変更した。
最後に雪庇が連なるアップダウンのある稜線をシールで登行し、午後0時半頃に家向山の山頂に到着。ゲストの青島さんもすこぶる上機嫌のようだ。山頂は風があるため長居せずに稜線を戻りドロップポイントへ。ここでシールを外し滑降に入る。傾斜もそこそこで、雪質も良く滑りやすい。ザラメ雪シーズンの幕開けである。参加者の足並みが揃っていて快調に高度を下げて行く。950mからは雪が切れて板を担ぎ夏道を下ることとなった。ここからは夏道沿いの楽な下りと思いきや途中から道が不明瞭となり、再び藪&雪原を苦労して国道に降り立つ。皆様お疲様でした。
青島さんはラクダ荘に戻り、他のメンバーは古町温泉(赤岩荘)へ。なかなか良いお湯でした。その後、お酒の買い出しをして只見町白沢集落に移動。白沢集落からは意外にも除雪が進んでおり、「いわなの里」1.5km手前まで車で入ることができた。幕営適地でテント設営し、清水シェフのクリームシチューをつまみに地元(旧伊南村)の地酒「ロ万」(ろまん)一升を皆で味わった後、翌日のロングルートに備え午後8時半ころには就寝した。
(赤坂裕 記)
本日はロングルートの会津朝日岳である。ネット上にも記録が少なく、行ってみないと分からないところがある。午前5時に起床。赤坂智が体調不良により休暇届。午前6時15分に出発。帰りは夕方になるだろうか。かなり奥まで除雪が進んでいて、しばらくは板を担いで林道を歩きはじめるが、15分ほど歩くと除雪が終わりシールで登行できるようになった。
2011年の豪雨被害で休業中のいわなの里に着く。その先の砂防ダムが登山口となっている。ほどなく渡渉地点。渡りやすいところを探しスキー板を外し徒渉する。しばらく赤倉沢左岸を進むが対岸はデブリだらけ。730m付近の沢の分岐を左俣に進路をとり、沢を詰めて途中から尾根に取り付く。沢の上部には昨日発生したと思われる大規模なブロック雪崩跡があった。ほとんど風もなく陽が照って暑い。沢の分岐から「人見の松」(1300m)まではなかなかの急登が続く。先ほどまであったトレースもいつの間にかなくなっている。赤坂裕は転けると谷底というきわどい稜線をトラバースしているうちに、段々と気持ちが萎縮してきた。
「叶の高手」の手前(1370m付近)で3mほどの雪庇に行く手を阻まれる。先行していた石黒さんと清水さんが板とザックをおいて偵察のために垂直の雪庇をよじ登っている。続いて深井さんと赤坂裕も登って見ると、その先も雪庇が張り出した細い稜線が続いており、さらに叶の高手の直下で雪庇が大規模に崩れていてかなり危険な状態に見えた。この気温ではさらに雪庇が崩れる可能性が高いことからリーダーが登行中止と判断し、正直なところ安堵した。
細尾根をトラバースして人見の松に戻り、快適なザラメ斜面をデブリを避けながら滑る。傾斜も適度で雪質も良いので下りは早い。途中で珍しく深井さんが転倒しスキーを流してしまったが、先行していた清水さんがナイスキャッチ。多少のトラブルはあったが順調に下り問題の渡渉ポイントへ。融雪によって多少増水していたが、ブーツ内を濡らすことなく全員無事に渡渉することができた。その後はのんびりと歩いていわなの里経由で幕営地に戻る。まだ撤収されてない赤坂夫婦のテントが残っており、赤坂智が川のせせらぎ、野鳥の声を聞きながら幸せそうに安眠していた。只見町の「季の郷湯ら里」でお風呂に入り、「口万」をお土産に帰途につく。石黒さんと深井さんの行きつけの道の駅「たじま」手前の食堂の唐揚げ定食がなかなかおいしかった。
(赤坂裕 記)