2010年6月 吉ヶ平〜網張〜守門大岳縦走 山行報告

6月12日(土)

小出IC=道の駅ルート290=吉ヶ平(5:30)−(6:22)栃の木平−(6:30)桂のへつり(6:55)−(7:10)山の神−(7:55)上合沢出合い−(8:30)天狗の田(8:40)−(9:20)田ノ倉乗越(9:40)−(9:50)大崩平(10:00)−(10:30)網張(10:40)−(11:00)大岳(11:30)−(11:45)−(12:17)中津又岳分岐(12:27)−(12:50)網張山(13:00)−(14:20)吉ヶ平

 小生に取って一言で今回の山行を語ることは出来ない。先ずは猪俣さんから守門大岳スキー山行で自分が落ちたところを検証しないかという山行のお誘いを頂いた時、そんなところに行けるのかという驚きと、再度現場に行く機会が与えられるなら検証をしてみたいという気持ちが激しく交差し、直ぐ結論は出せなかった。しかし、落ちた下からその場所を確認してみたいと言う誘惑は強く心を動かし、日程調整の結果図らずも今回の日程で猪俣さんの計画に参加させて頂くこととなった。
 メンバーは猪俣さん及び付属する山岳会のメンバーである伊奈さん、小野田さん。ランドネからは阿部さんと小生。更に実施直前に強力な助っ人の参加と言うことで、新潟の低山藪山等の著書がある羽田さんの6名である。使用する車は3台で伊奈車(伊奈さん、小野田さん、猪俣さん)、阿部車(阿部さん、野村)、羽田車(羽田さん)である。
 伊奈車と阿部車は前夜に道の駅ルート290で集合。阿部車の到着は約午前1時30分。既に伊奈車は12:00前には到着してテント設営をし、仮眠している。我々の到着音で目覚めたようで、真っ暗なテントの中から顔をだして伊奈さんが我々を迎え入れてくれるが直ぐに仮眠の続きを取っている。長距離運転後は、恒例の宴会を省略出来ない野村と阿部は2人静かにビールと焼酎で明日からの検討を祈って、声を殺して静かに乾杯!我々も伊奈さんたちを見習って早々に就寝とした。AM2:00。
 朝3:50起床、4:30出発。吉ヶ平のゲート到着。羽田さんを待つ。間もなく羽田さんも到着し、吉ヶ平を目指す。今回登山の拠点となる吉ヶ平は守門川岸辺に開けた山間の地、今は無人であるが昔は40軒程の家があったそうだ。なんでも過疎化で全員離村をしたと言うから人々の生活の重みが伝わってくる。廃校になった木造二階建て吉ヶ平分校が僅かにその当時の面影を残している。校舎や敷地入り口には“吉ヶ平へようこそ、吉ヶ平保存会”という看板があった。中は開放されていて、水洗(自然式)トイレもある。外のナゲシでは開きっぱなしの蛇口から冷清水がほとばしり出ている。早速、車は吉ヶ平分校前の敷地内に置いて登山準備を開始した。

 今回計画段階で一番問題になったのは履物である。登山道は明瞭なものは無いらしい。渡渉があるが水量の関係で渡れないらしい。高巻きがあり、残雪が無い場合は藪であり、泥道である。天狗の田あたりからは残雪の為8本以上のアイゼンは必携ということで、猪俣さんは林業用鋲付き長靴、伊奈さんは沢靴+アイゼンで、阿部さんは渓流用の長靴を購入予定だとのこと。小生も渓流長靴購入に心動いたが、急遽羽田さんが参加となり、どうやら登山靴(何年ぶり)で行くらしいと言うことで、阿部、野村はならば、登山靴+アイゼンで行こうと決めた。取りあえず新たに購入の装備は無い。
 当日それぞれの支度でスタート。ところが間もなく羽田さんの登山靴の底が剥がれた。これでは登れないということで、急遽車に戻って長靴に履き替えて来るという。登山道は途中まで軽四輪やオートバイも走る林道を右に分岐して山に分け入るが、そこで羽田さんを待つ。丁度、地元の人がオートバイで山菜採りに入ってきており、分岐でオートバイを乗り捨てた山菜採りの人と桂のへつりまで道案内風の同行となった。いろいろ話を聞きながらその人を先導に順調に前進するが、この時期何を取りに来ているかを聞いても“いろいろだね”と言うだけで具体名は言わない。さすがと言うべきか。
 1時間も掛からずに栃の木平を通過。土地の方先導とあって快調な歩程である。桂のへつりに到着。予定では桂のへつりは渡渉せず高巻くと言うことだったが、この上には道は無いという先導者の言葉と水量(猪俣さんは下見をしており、その時の水量より今回はかなり減っている)とで予定に反して渡渉となった。先導者はさっさと渡渉して行ってしまったが前後して入ってきていた2名の山菜採り者もさっさと渡渉している。たしかにここは渡渉が正解だろう。登山靴の小野田さん、阿部さん、野村は登山靴を脱いで、裸足や靴下一枚になって守門川を渡渉した。水位は最深で膝上位。雪解け水が冷たいのは当たり前であるが、思ったほどでは無かった。一度対岸にわたり、再度同じ側に戻ってきて、へつり部分を通過する。左岸山道に戻り高度を上げて行く。左側が崖で足場が悪いところが多い。登山道にはサンカヨウが清楚な白い花を咲かせている。水芭蕉も少しだがある。コイワカガミやショウジョウバカマ、椿も咲いている。高度を上げるとシラネアオイの澄んだ青色が美しい。
上合沢出合いとなる。この小沢を渡り小尾根に取り付く為、登山靴隊は岩に飛び移るが、岩はぬめり、緊張する。岩の上でバランスをとるのに苦労していたらお助けストックを急遽提供されて何とか渡った。上合い沢出合いを過ぎ、足場の悪いトラバースでは虎ロープが設置されていて助かる。守門川に合流する田ノ倉沢右岸の尾根を登る。最初左足下に見えた主流の守門川硫黄沢は直ぐに見えなくなり、沢音からも徐々に離れて高度を上げていく。右手の田ノ倉沢に段々と残雪が増えてくる。高度を上げて行くに従い、見上げると樹林の間から大岳周辺の岸壁が見え隠れしてくる。更に根曲り樹林帯を横切り、苔むした岩の沢沿いを登ると雪田の端に出た。大きな雪田の天狗の田である。目の前に遮る物がなくなって、大岳の岩壁がすごい迫力でそそり立っている。本当にこんな崖を登れるのかー!! 未だ信じられない。
 この先は方向に戸惑うが、雪田が切れている上部の小滝風の沢を登る。やがて出たのが田ノ倉沢の源頭部に広がる田ノ倉乗越の雪田である。此処で大休止。ここからも大岳の岩壁が聳えているが、何度見ても自分が落ちた崖が特定できない。休憩後田ノ倉乗越を越え僅かに下に降りると此処も大きな雪田であった。大崩平である。今までの景色がガラッと変わった、ここに降り立って初めて網張のコルまでが見通せた。あの急峻な大岳周辺の岩壁とは違い、大岳からは約150m高低差で大きく弓形に下がったコルの稜線まで大崩平から雪が適度な斜度で繋がっている。なるほど、これなら登れる!初めて納得した。キックステップで登るという雰囲気もあったが、折角持って来たアイゼンだ。使おうと言うわけで、羽田さんを除いて全員アイゼンを装着となった。
やはり、安心感が違う。ストックとピッケルでダブルに使うとより快適というメンバーもいたが、小生はピッケルだけ使用。ところで長靴だけの羽田さんはもう遙か先を登って、やがて稜線に着こうとしている。我々もそれに続く。全員網張りのコルの稜線に登り立った時はやはり感激した。まさか登れるとは思っていなかった分感激はひとしおで羽田さん初め皆さんと固い握手を交わした。
小休止後大岳山頂を確認し、小生4月山行での滑落現場を検証した。落ちた東面は樹木が茂り、残念ながら直下の斜面を確認は出来なかった。その後網張り側に少し戻って未だ東側に雪渓の残る見通しの良い稜線付近で、大休止。帰路は1388峰(中津又岳)を経由、網張山を目指した。大岳から中津又岳のルートはやはり右側が切れている。網張山からは吉ヶ平を目指すが、網張山経由しての分岐道は昨年開削された新道のようである。
そこを下る。個人が開削したようで、雪に鍛えられた根曲がり樹林の雑木林の開削は大変な苦労だったろう。途中ブナの美しい林が続くがやがて標高差400mを一気に下る急斜面となる。この下りは半端では無い。いつまで続くかイヤになってきた頃、丸太補強された階段が急斜面の最後の仕上げで、降り立つと水場の表示がある。小休止と近くの水場で喉を潤す。ここからは斜度を戻し、やがて林道跡のような穏やかな道となり、集団離村前の水田跡風の景色を身ながら進むとやがて朝スタートした吉ヶ平分校前の道に出た。
 こうして予定より随分と早い時間で網張経由大岳に登り、今日1日の行程を終えた。まさか登れないと思っていた大岳へ登れた感激は何よりも大きかった。久しぶりの充実感溢れる山行となった。

 追記:テントを張った吉ヶ平では、吉ヶ平分校保存会のメンバーが明日の行事の為来ていた。彼らと話をする内に最後は宴会合流となり盛り上がった。これを書くと又長くなるので省略するが、彼らとの交流、吉ヶ平の風景、歴史、そして彼らの活動に触れて、又一つ今回の思い出に大きな付録がついた。

(野村 記)


桂のへつりを徒渉


天狗の田より大岳の絶壁を望む


大崩平より網張のコルをめざす