2日夜発、野村車、木村車の2台に10名が分乗し、奥只見線入広瀬駅に深夜着。仮眠。
3日朝に守門大岳のみ参加の潟見さんと合流、二分の林道除雪最終地点まで移動する。
快晴無風の登山日和、たっぷり残った雪はまだ割れておらず、林道をショートカットし順調に高度を稼ぐ。保久礼小屋で休憩。キビタキ避難小屋を過ぎ、樹林帯を抜けると吹きさらしになるのでその手前でアウターを着た。この頃から急速に天候がくずれ、吹雪とガスで視界が悪くなった。山頂手前300m辺りからはホワイトアウトの中を先頭L野村さんはシルバーコンパスで進み山頂祠に迷わず到着。
猛吹雪の山頂でシールをはずし、再び先頭L野村さんで行動開始。滑り出した直後、隊列の後方に居た木村さんが方角の誤りを知らせるが、隊列が前後に離れその大声は届かず無線も通じなかった。11:55先頭の野村さんは頂上北東側雪庇からおよそ150m落下滑落。間も無く本人との無線交信で無事を確認したが、装備のロープではセルフレスキューは難しいとの判断で救助要請を決める。先行下山組と残留組に分かれ、先行下山組(潟見さん+女性4名)の携帯電話が13:10下山途中の尾根で小出警察署(計画書提出先)に繋がり救助要請をする。先行組二分へ下山後、待っていたパトカーの先導で小出警察署へ向かう。
小出警察署が中心となって救助体制が組まれた。山頂の阿部SLに携帯が繋がり、GPS機能付き携帯で110番通報を指示される。110番通報を受信した県警では場所をほぼ確定したが、平地は天気快復しても山頂部の雲は取れず、ヘリ飛行タイムリミットの17時頃に対面の烏帽子岳付近までヘリコプターが飛んだが救助には至らなかった。最終的に好天の見込まれる翌朝、再度へりの出動を決定。警察と消防署、民間スノーモービル隊による地上救助隊の待機も手配された。その間、野村さんの奥様、在宅運営委員に連絡をとる。
野村さんは一晩雪洞ビバークとなり、山頂で雪洞を掘って待機していた残留組5名は協議の結果、翌朝救助隊出動時の合流を決めヘッドライトで下山した。
当日帰宅予定だった潟見さんも残り、メンバー10名は予約していた浅草岳側の「音松荘」で宿泊。宿では夜遅くの到着と早朝発ちに親切に対応していただいた。
4日早朝、快晴。6:18ヘリコプターで無事救出。病院検査後、野村さんのご家族も到着され、小出警察署で本人の事情聴取。その後出動待機していただいた栃尾消防署にお礼に訪問、そこで民間のスノーモービル隊も途中まで出動したことを聞かされ、取りあえず繋いで頂いた消防署の電話で本人がお礼を言うことが出来た。その後帰京。全員が午後まだ早い時間に帰宅することが出来た。
(由布 記)