1月29日(金)の21時頃木村車に深井・石黒・直井が同乗、角田車に室岡・川久保が同乗して東京を出発し、深夜零時頃道の駅「ふるさと豊田」に到着、店の前の屋根の下で向かい合わせに2張りのテントを張った。ちょっと酒盛りをした後、午前1時頃就寝。
翌朝6時起床。各自手持ちの朝食を取った後、車で出発。温井集落の道路の除雪終了点まで来るとすでに車が3台ほど止まっていて出発準備をしている。我々も今日のリーダーである深井さんを先頭にして出発する。晴れ、無風で3月のような陽気である。雪もしまって踝までもぐるくらい。歩き始めるとすぐ暑くなって上着を脱ぎシャツのみとなる。
既についているトレースは全て鍋倉山に向かっていて、田茂木池の手前からは我々独自のトレースとなる。地図でみると大した事はないように見えるが右側に深い谷があり、渡る事が出来ないので沢の右岸沿いに進んで行くと地図上の林道の橋(石黒さんが「出川橋」と命名)を渡る事が出来た。林道をショートカットしながら高度を稼ぎ関田峠の少し手前の小屋に着いた。ここからは左方に雪に埋もれた茶屋池を見ながらゆっくりした登りを行くと大きな雪上車の通った跡があり関田峠に着いた。見晴らしが良く北方の山々がはっきり見える。
ここで昼食を取っていると大きな雪上車がやって来た。頂上に着いたらバラバラと人が降りて来た。ボーダーが主で、スキーヤーは少数である。20人ほどのお客に2人の小さなリュックを担いだガイドがいてお客は空身である。すぐガイドに先導されて滑って行った。我々は北西方の斜面を滑り出した。今まで登って来た斜面は3月の雪であったが、この斜面は良い雪で滑りやすい。あっという間に林道まで滑り、もうひと滑りして沢(光ヶ原)まで滑って休憩した。
ここで再びシールを付け関田峠まで登り返す。石黒さんが先頭で膝くらいのラッセルにも関わらず快調なペースで登って行く。頂上に着いたらシールを取って登って来たルートと殆ど同じルートを取って下山した。雪が締まっていて緩い傾斜でも圧雪されたゲレンデのように快調に進む。ただ下のほうは春のクサレ雪になっており足を取られながら温井集落にたどりついた。
車を止めたところから20mほど離れた雪上に二張りのテントを張り、各テントでそれぞれ自慢の料理を作り、よく食べ、よく飲んで満足して20時頃就寝。雲の間に満月が覗いていた。
(川久保記)
深夜、目を覚ますと満月でテント内が明るく、ヘッドランプ無しでも十分に見える。用足しに外へ出ると雪原に集落の家々が浮かび、無風でのどかな風景が広がる。冷え込みも穏やかで「テント内騒音」も無く熟睡できた。
テントを撤収して車に積み込み、朝日をいっぱい受けて出発する。昨日のトレースを登り、一段上の林道に再び乗る。田茂木池の手前で昨日のトレースと分かれて北西へ向かう。田茂木池から下る浅い沢を横断して緩い傾斜の雪原を進む。先行パーティーを追って鍋倉山東尾根に取り付く。
好天で風が無い為、ジャケットを脱ぎ軍手という春山スタイルが快適。1000m位まで時々キックターンをしながら感じの良いブナ林をぐいぐい登ると後半は傾斜も収まり鍋倉山頂に着く。360度の好展望で、黒姫、妙高から北へ矢代山地が高度を下げながら日本海へ続く。直江津から海岸線を右に振ると端正な米山が望める。松之山・十日町方面から更に右へ振ると真白な越後駒・巻機・谷川連邦が遠望される。野沢温泉から志賀高原は眼下の飯山線・千曲川南岸すぐ向かいに見える。
早速シールを外して鍋倉山頂から登ってきた東尾根の北面を滑ると予想以上に良い雪質。順番に滑って木村(あ)さんが下で撮影する。20cmほどの新雪の下に固い層が有り、一同ご機嫌で傾斜の落ちる1100mまで滑り昼食とする。樹齢100年超のブナが散在するいい感じの林。鍋倉山頂まで登り返して再び東尾根の北面を滑り、そのまま林道まで下る。
銘木ブナ太郎・ブナ姫の巨木がこの谷筋にある筈と滑りながら探すが見当たらない。実は今朝登った尾根のすぐ北側の谷にある事が後で分かる。林道で昨日のトレースに一旦接するが、今日は雪原を最短距離で温井集落へ下る。途中小布施の湯で一浴と食事して帰る。
(直井 記)
斜面のロケーションによってこれほど雪質が違うものかと、そのことを実感した山行だった。前日に15センチ程度の降雪があり2日間とも天候が良くこの時期にしては気温が高かった。 初日の関田峠の南斜面は締り雪になっていた。ところが2日目の鍋倉山の東尾根北斜面は新雪がパウダーっぽいままで残っており十分に滑りを愉しむことができた。
(室岡 記)