天気予報では午後まで雨だったが、幸い朝までに止んでいた。除雪の最先端(1330mぐらい、宿から約3km)まで、車2台で行き、道路脇に駐車する。ここから池の峰のコルを目指して斜登する。コルから笹が峯側は雪がないので、尾根沿いに1900mぐらいまで登り、ここから黒沢池を目指してトラバースした。
標高2000mから上はガスで視界が悪く、黒沢池ではホワイトアウトであった。ここから茶臼岳のコルへ登る。コルからはシールをつけたまま滑り降りた。視界が100?200mとなったので、問題なく高谷池ヒュッテに到着した。村上、川久保、大西の3名は1月にもここに来ている。3階にある冬期部屋は畳で布団もあり、快適である。天気は回復しつつあり、月が見えた。
朝起きた時(5時頃)、風は強かったが火打は見えた。しかし、7:30 時頃の出発の時はガスに隠れてしまった。期待したほど天気は良くないようだ。登るにつれてホワイトアウトになり、肩から上は視界が30~40mとなった。クトーをつけて視界のきかない急斜面を上ったが、 2380m付近で歩行アイゼンに履き替えた。雪の急斜面は昨日の雨で堅くなっており、そのままではザックを降ろせないので、後ろの人が前の人のピッケルを外し、斜面を切ってザック置き場を作った。
火打の頂上はガスの中であった(写真1)。下りも視界が利かないのでアイゼンを履いて影火打とのコルまで降りた。ここで視界がよくなりスキーを履いて2000m前後の標高を保ってトラバースして焼山とのコルへ出た(写真2)。焼山も南面をトラバースで行き、頂上の真南附近で荷物とスキーをデポして歩行アイゼンに履き替え、夏道沿いから頂上を目指した。帰りは近道の急斜面を下った。
当初の計画では今日の行程は金山までであったが、焼岳の登りで時間を取ったので、デポ地から30分位歩いて4時頃に行動を終え2035m付近の斜面で雪洞を掘ることにした。
7人用の大きな雪洞を掘るので中で繋げることにして効率を上げるため2つの入り口から堀り始めた(写真4を参照、これは翌日の出発前に撮影)。雪の層が非常に固く、おまけに氷盤が入っているのでプラスティックのシャベルは掘るのに全く役に立たなかった。金物のシャベルとノコギリで2時間半以上かかってようやく7人が快適に寝られる空間ができた(写真3)。雪が固い分だけ夜中に天井が下がったり、つぶれたりする心配はなかった。
写真1. 濃いガスの火打山山頂(2462m, 2008年4月12日、山田撮影)
写真2. 影火打山から焼山への下り・トラバース(2008年4月12日、安仁屋撮影、厳しいトラバースの一つであった)
写真3 . 快適な雪洞(4月12日、山田撮影、左から遠藤(ゲスト)、野村、川久保、村上)
雪洞は思った通り快適であった。金山はピークに行かず 2130m付近からシールを外して北西斜面をトラバースし、途中の沢を1900m近くまで滑り降りる。快適な斜面であった。ここから主稜線を目指して登り返す。途中で休んでいる時、金山の頂上から6人のパーティが主稜線を滑り降りてきた。主稜線は、幅は狭いが地図で見るよりも快適に滑れた。茂倉峰附近は稜線が狭すぎて、南側の斜面をトラバースした。このころより天気が怪しくなってきた。
大倉沢への滑り込み地点である1530mのコルから、雨飾山の往復を2時間強と見て荷物をデポし、行動食や水などの必要な物だけを持って軽装となりシールで雨飾山を目指す。この時まで何遍もシールを付けたり剥がしたりしたので、水分を吸いスキーに張り着かなくなった。この附近の稜線は狭く、おまけに雪が所々割れているので、階段下降したり巻いたりでペースは捗らない。これでは3時間以上かかる。その内ぽつりぽつりと来たので、帰りのことを考えて白倉峰の近く1580m地点で引き返した。
大倉沢の支流に滑り込む。幸いなことに雨は降らなかった。雪はまあまあである。途中沢を渉る場所で、あと1?2日でスノーブリッジが壊れて渡れなくなるだろうというヤバイ所が2カ所あった。夏道との合流点の近くでは谷沿いに大きな底雪崩が起きていた。やがて地図にない立派な建物が見え、その下を過ぎるとまもなく除雪してある道路となりスキーを脱いだ。途中、道路の屈曲点から近道とばかり小谷温泉を目がけて滑り降りたが、温泉の裏はがけで雪がなく再び道路へ戻った。
南小谷行きのバスを待つ間、野村さんが携帯でバス・電車の接続を調べたら、妙高高原駅には長野経由で 10時過ぎ、糸魚川経由では10時46分に着くとのことであった。いずれにしても車を回収して帰るには遅すぎるので、今晩は山田さんを除き杉の沢のプルークに泊まることに決めた。バスを途中で降りて下里瀬温泉に寄ったが、出た時は本降りになっていて、改めて天候で運が良かったことを実感した。
中土から電車に乗り、糸魚川・直江津経由でプルークの宿には23:10頃着いた。2台の車を回収した後、明日仕事に出る山田さんは12時頃帰って行った。残りの者はそれなりに厳しかった行程を思い出しながら夜中2時過ぎまで打ち上げを行った。
写真4. 雪洞の朝(4月13日、山田撮影)
今回、当初予定の雨飾山は往復できなかったが、手を伸せば雪壁に手がつくような急斜面のトラバースが何回かあり、コースとしてはかなり厳しく、チャレンジに富んだものでおもしろかった。
(安仁屋 記)