2007年4月 オートルート及びモンテ・ローザ周辺 会山行報告
熟年者のパワーが稀に見る晴天を演出し、成功に導いた。
- 日程 : 2007年4月3日(火)〜4月17日(火)
- 参加者 : 大坪(リーダー)、井上(写真)、田原(保険)、川久保(会計)、森(記録)、
フィリップ(フランスガイド)
4月3日(火):日本からシャモニーまでの移動
成田SAS11:40=コペンハーゲン16:05、17:15=ジュネーブ19:15=(タクシ)=シャモニー20:00頃 ポイントイザベル泊
成田に9時集合、空路ジュネーブ着。成田の免税店で購入した日本酒はコペンハーゲンの乗り換えトランジット時、荷物検査であわや没収になりかかったが、大坪・川久保の努力で一度デンマークに入国し、再度出国の手続きをしてこれをエアーラインに預けて搭乗手続きをすることで無事であった。タクシにてシャモニー着。
4月4日(水):終日シャモニーにて買物、換金及び保険加入
夕方ガイドのフィリップと顔合わせ及び荷物の点検。クラポン、衣類等を持ち上げなら点検。特にこれは駄目との指示はなかった。荷物はできるだけ軽くする。余分なものは持たない。フィリップは日本人の経験があるのとバリバリのフレンチではないようで荷重には寛容のようであった。あとで分かったことだが、フィリップは8kgsだといっていた。
4月5日(木):バレー・ブランシュにて足慣らし 快晴 風なし
ミディ・ロープウエイ乗場8:00―エギュイ・ディ・ミディ8:40−滑走開始地点9:10〜〜(ブラック・ヴァレイ コース)〜〜休憩(昼食)2,150m10:30、10:50〜〜モンヴェール駅11:50 計2時間40分
天気は最高、これ以上は望めない。前日降雪があり一番の深雪を楽しむために早めにロープウエィ駅に集合した。身支度をしていよいよバレー・ブランシュ滑走開始。始めはやや固めの雪を、フィリップを先頭に川久保、田原、井上、森、大坪の順で続く、しばらく下って大きな雪原に出た。ここから通常のコースを外れブラック・ヴァレイというところを滑ることになった。以前ここは氷河の状態が悪く(クレバスの危険がある)コースはなかったが、2、3年くらい前から滑れるようになったとのこと。途中、クレバス群を避けながら高度を下げていきグランドジョラス北壁からの谷と合流する付近で休憩をとった。振り返ればクレバス群が見え、天気が良いとはいえガイドなしでの滑走は難しいのであろう。
バレー・ブランシェにて
4月6日(金)(オートルート初日) 快晴、風なし
シャモニーバス停8:00−ラ・ロジェール8:15、8:45−グランモンテ・スキー場9:50〜アルジェンチェール氷河10:25−休憩3,000m12:05、12:20−シャルドネのコル14:0014:20−コル下14:45、15:10−休憩3,055m15:30、15:45−サレイナの窓16:50、17:15トリエント18:15(泊) 計8時間25分
グランモンテのローオウウエイ駅後ろの階段を下りて、アルジェンチェール氷河を横断。登り2時間近くかかって、やっと、やっとあのシャルドネのコルに着く。この下りは過去の例ではロープで確保しながら横滑りで降りるといわれていたが、今日は雪の状態が悪くクラポンを履きスキーを担ぎ、懸垂下降で降りろとのフィリップの指示。安全環つきカナビラにムンターヒッチ結束にて下降を開始。初めは楽勝に下りるが40m位下って下を見ると先行する大坪が四つんばいで、確保なしでキックステップを切りながら下りているのが目にはいる。さらにその下には、既に安全地帯にいる川久保の姿が見える。同時にロープの末端の結び目が見えた。こりゃなんだ。ロープが足りねーでないか。後で分かったがロープは50m、崖は80mで30mは四つんばいでの下降でやっと下り降りた。後方の井上、田原も苦労しながらも通過した。田原は懸垂下降が初体験で苦労したようだ。
シャルドネの崖は80mでロープは50m、あとの30mは四つんばいでの下降
サレイナ窓に向けゆっくりと滑走とシール登高を続ける。窓直下の急登は板を担いで登る。時間
は大幅に遅れてしまった。しかし、景色は抜群で気分だけは良好。小屋手前を登り返して、最後
の到着となった。
4月7日(土)(第2日) 快晴、風なし
トリエント小屋7:20〜エカンデのコル7:50〜(アルペティーの谷)〜林道1,840m8:40〜
シャンペ湖9:05−(タクシ)−ラ・シャブル10:50、昼食後―13:10−ラ・アテラ13:10〜
モンフォー小屋13:30(泊) 計6時間10分
森のシールのグルーは全く駄目で(粘着力が強すぎて剥がすと板にグルーが残ってしまう)、ここのスポーツショップで大金をはたいてシールを購入した。
ロープウエィを乗継ぎラ・アテラからトラバースしながらスキー場にあるモンフォー小屋に到着。途中は雪崩の巣のようなところで、いたるところにその跡が残っており、午後の通過は要注意。
夕食は野菜スープ、野菜サラダ、スパゲティ・ミートソースで美味しかった。ここでも川久保の個性が全面に発揮され、出された皿をすべて写真に残していた。
トリエント小屋の夕食
4月8日(日)(第3日) 快晴、風なし
モンフォー小屋7:00−ショーのコル8:40、9:00〜−ローラブランシュ下3,165m(デポ地)
―ローラブランシュ山頂(3,336m)12:30、12:50〜プラフーリ小屋13:30(泊) 計6時間30分
ここからディス小屋まで一気抜けが多いがコースが長く単調なので2日に分ける選択をした。ローラブランシェ山頂下から深雪滑走がプラフーリ小屋上部まで楽しむことが出来た。プラフーリ小屋は新しくなりシャワーがある。
4月9日(月)(第4日) 快晴、風なし
プラフーリ小屋6:30―ルーのコル7:00、7:10〜ハー峠(ディス湖源頭部)2,245m8:20、
8:30−ディス小屋12:10(泊) 計5時間40分
朝食後、一番立ち。コルまで快く登りシールを外して長い、長いトラバースの開始。眼下にディ
ス湖を見ながら延々とトラバースをする。山の斜面を見れば所々雪崩のあと、一時間程かけて源頭部のハー峠に着く。小休止後、3時間の登りの開始。クトーを付け最初の急登をZ形に登り切ってクトーとおさらば。この辺で後続の外人部隊にどんどん抜かれるが気にせず足を進める。
この登りの途中、田原の前を進んでいたフランス人がキックターンに失敗、滑落し怪我を負う。最
後尾の大坪がケアーし先頭のフィリップに事故を伝えるが他のグループのためか動じない。しか
し怪我人が自分と同胞のフランス人と聞くと俄然近くのガイド仲間を集め救助活動に入る。持参
の携帯電話でレスキューに連絡を取り、怪我人を安全な台地に移動させている間、我々は先行
トレール通りディス小屋に向う。途中、小屋から事故現場へ戻る怪我人の仲間とすれちがい、事
故状況を訪ねらたが、こんな天気でも事故があればパーティが離れ離れになるのはリスキーだと
思った。
明日はヴィニエット小屋が満杯で予約出来ないため国境を越えてイタリア側のナカムリ小屋まで
行くことを決めた。どうもこの小屋のトイレ環境の悪さはヴィニエット小屋を越えるとのこと。
4月10日(火)(第5日) 快晴、風なし
ディス小屋6:35〜シール登高6:45−ブレネイのコル10:15、10:25−ピンダ・ローラ山11:25、11:40〜シャモンタンのコル(雪原、昼食)12:10、12:45―エベックのコル14:4515:15〜ナカムリ小屋15:50(泊) 計9時間15分
今日も快晴、暑くなりそうだ。オートルート中の最高峰ピンダローラ(3,772m)越えを控えて長丁場を覚悟。ブレイネのコル下部の高さ5mの氷帯は通常はクランポンの世界であるが、今日は雪の状態がよくクトーで登高出来た。ピンダ・ローラへの最後の登りはきつか。頂上からシャモンタンのコルまでの大滑走は最高であった。ナカムリ小屋の食事時間には驚いた。イタリア式にゆったり2時間をかける。さらに驚嘆したのは噂の「トイレ」、ロープに導かれ崖下にトタンで囲まれた屋根なしの個室がたった1個。勿論、下は切れ落ち自然任せ。戸も満足に閉まらず。夜中に用足しに行くや出るものも出ず、大変苦労をいたした。
4月11日(水)(第6日最終日) 快晴、風なし
ナカムリ小屋6:05−コル・コロン6:55〜シール登高7:30―モンブルブェのコル下9:05−モンブルブェのコル9:40、9:55〜シール登高10:00―パルプリナのコル12:20、12:55〜フーリ15:00 ツェルマットのホテルバンホッフ(泊) 計9時間
最後の日は3つのコルを越えれば登りはおしまい。まだ、夜が明けずヘッドライトを頼りにトラバ ース、しまり雪にクトーがよく効く。横には無人(自炊)のブクタン小屋を見ながらひたすら歩く。やっとモンブルブェのコル下に到着。約30分でコル上部に着く。全員集合して、最後のコルパルプリナに向け滑走スタート。氷河の底部でまた長い緩やかな登りに従って兎に角とぼとぼと一歩、一歩進める(オートルートはこればかりでこの表現がぴったり)。最後のコルが見えているが着かない、斜度がなくなり平らになりマッターホルンが除々に大きくなって来てやっと到着、もう登りはないと思うと喜びがこみ上げてきた。全員で握手と抱擁ここまで脱落者なくこられたことを讃えあう。他のパーティも歓声あげていた。あとはフーリに向かって北壁直下をトラバースしながら下るのみ。周りをみわたせばダンジュラン、マッターホルン等に囲まれ素晴らしい景色の一語に尽きた。
フーリまでの滑走は素晴らしいものであった。ツムット氷河の雪は以前より随分減った気がした。
あとは一路フーリまで。全員落伍者なく完走、完走、完走だ。良かった、良かった、だ。ブラボー、
ブラボー、ブラボーだ。
マッターホルンに向けて
4月12日(木) 完全休養日
散歩と買い物。大坪シェフのお蔭で昼食にラーメン、夕食にカレーライス、ポテトサラダを頂く。久しぶりの和食で元気が出た。やっぱ和食がいいな。明日以降の予定を決めた。本当のオートルートのゴールはザースフェだよということで、ここまで来たので天気がよければ挑戦することに決めた。オートルート最後のザースフェに行く。
4月13日(金) 曇り後ホワイトアウトから晴れ、風強し(17m/S)
バンホッフ7:50=ロープウエィ乗り場8:00、8:30=クライン・マッターホルン9:20、9:35―ブライト・ホルン山頂12:10〜休憩3805m12:45、13:15〜ルート発見13:30頃〜氷河(シュバルク)上部14:00〜氷河下15:45−モンテローザ小屋17:45(泊) 計6時間10分
ロープウエィを乗継クライン・マッターホルンに着くが低温と風が強く冬に逆戻り、ゴーグルの出番がやっと来た。ブライト・ホルンではワイトアウトになって何も見えなくなってしまった。荷物をデポし、空身で頂上に行きほんの数秒一歩だけ記して直ぐ戻り滑走を始めた。フィリップもGPSを見ながら滑っていくその跡を、フィリップを見失わないように横滑りをしながら恐る恐る進む。標高3900m付近でフィリップは道を見失ってしまった。いつもとは勝手が違うようだ。山の怖さを見た。昨日まででは考えられない事態。
しばらく手探りで下るとトラバース用のトラックを発見、さらに進むうちに途中ツボ足で板を担いで歩いて氷河の上端部に至ったときは夢遊病者の如く左右によろけながら疲労の極に近かった。滑走にはいるが雪はクラスト状で回転しづらく難渋しながら氷河を下る。やっとゴルナーグラード氷河に降りた。はるかかなたにモンテローザ小屋が見える。遠――いな1時間では着かないな。重い足を引きずるように歩く。歩いても、歩いても小屋は遠い。セラックの中、やや急登を登り切って小屋に到着。6時前であった。
明日の予定はアドラー・パスを越えてザースフェまでであったが、全員疲れ切ったのと明日のロング・コースを考慮して全会一致でツェルマットへの下山を決めた。
4月14日(土) 快晴、風なし
モンテローザ小屋7:55〜ゴルナーグラード・氷河渓谷入口9:00−〜フーリ10:25―ツェルマット11:00−(タクシ)−ザースフェ12:15 ホテルグレーシャー・ガーデン(泊)計2時間30分
マッターホルンのモルゲンロートが美しい快晴の朝を迎えた。小屋前のバーンを氷河に向け慎重に滑り、クレバス群の途中から大滑走の始まりだ。どんどん飛ばす、右手にゴルナーグラード駅のドームを見ながら、どこまでも飛ばす。誠に気分爽快。快適そのものであった。渓谷の手前でクラポンを着けフィックスロープを頼りに下る。最後はツボ足だけでゲレンデに出、フーリまで最後の滑走をした。タクシにてザースフェに移動した。
4月15日(日) 快晴、風なし
ホテル8:05−メトロ終点9:00−アラリンホルン山頂11:15、11:35〜ザースフェ12:55−ホテル13:10、15:00−(タクシ)−シャモニー17:30 ポイントイザベル(泊) 計3時間40分
ロープウエィとメトロを乗継ぎ展望台のあるゲレンデに到着。前方にTバーリフトが動いていて乗ることにした。これが思わぬ笑いを誘うこととなった。Tバーは結構早く慣れないせいかうまくTバーを掴めず、森と川久保は転倒をしてしまった。おまけに降りるときまで付録がついてしまった。楽をするつもりがかえって疲れてしまった。
この日も快晴で人は多い。頂上直下で板をデポし、ツボ足で4027mの頂上に立つ。眺望はこれまた「素晴らしい」の一言。言葉では無理。しばし見とれていた。はるか眼下にはモンテローザ小屋からのルートが見えちょっぴり残念な気がした。途中ゲレンデに合流して春雪をザースフェまで滑り終えた。宿に帰りビールで乾杯し、オートルートの成功を祝った。
シャモニーにタクシで戻りのフィリップと晩餐をともにして感謝し、再会を願って分かれた。
4月16日(月) 最終日
シャモニー7:00=(バス)=ジュネーブ9:10、SAS11:30=コペンハーゲン11:30、15:45=
成田9:30 (東京4月17日)解散
素晴らしい感激を味わうことができました。自然、仲間に感謝します。
“ありがとうございました”
(森 記)
アルペティの谷 (2007/4/7)