朝9時東北新幹線白石駅に集合。2日間の食糧と燃料を各自に配布分担。澄川スキー場へ移動し、3本のリフトを乗り継ぎリフト終点から井戸沢下部まで滑降。沢を越えて清渓小屋までシール高登。最初小雨だったが、高度を上げるにつれて牡丹雪になる。小屋は木造2階建てで、中には大きな薪ストーブがあり、小屋全体が暖かいので濡れた衣類の乾燥も早い。夕食後、皆で山の歌、懐かしの歌謡を歌った。
朝、シールを付けたまま小屋を出発し、一旦金吹沢を越えて台地を岳樺沢と澄川出合に向う。澄川源頭に入るべきところ、金吹沢下部の沢から澄川出合に降りた。
澄川を少し登ると岳樺沢出合の赤い岩が正面に見える。川久保リーダーから金吹沢出合はこの赤い岩が目印との説明がある。その間も別行動の1班とは、定時無線交信で現在地の連絡を取り合う。
屏風岳山頂付近 モンスターの間を進む
澄川源頭に入りすぐの所に峠ノ沢を分ける。澄川源頭を詰めて、岩小屋を左岸に見てやがてモンスターがいくつも乱立する屏風岳山頂付近(1,817m)に至る。稜線付近はガスで、風強く地吹雪状態。屏風岳はだだっ広くてどこが山頂か判らない。
三角点があるところは最高地点1,825mより先にあり、最高点の180m手前あたりで行動を停止。山頂付近は雪面にモンスター気味の樹木が乱立し、先端が雪面にボコボコ出て滑りにくいので、シールをつけたまま芝草平への途中まで下る。時折、ガスの切れ目から姿を現す杉ヶ峰の白い山様が美しい。
雪面の状態が良くなったので休憩を兼ねて行動食を摂り、シールを外して滑降に入ろうとしたら直井さんのジブレッタ505金具のプラスティック部分が破損し、ブーツをスキー板に固定出来なくなる。またブーツ(Dachstein)の滑降モード切り替えの金具が凍結して、指で廻しても動かない。(昔、ダイナフィットのブーツに、穴に入った水滴が凍結して、モード切り替えの操作ができなくなるトラブルがあった)
やむなく片足走行で風の緩い芝草平まで降りて、皆の知恵を合わせて何とか応急処置をして片方の靴はスキーから取り外すことは出来ないが、滑降は出来るので慎重に澄川源頭を滑り降り、岳樺沢を登り返し、3時前に小屋に無事帰着した。
小屋で夕食の出来上がるのを待ちながら一杯飲み歓談していたら、小屋の下方から2人のスキーヤーが何か救助を求めて携帯電話を操作している様子。産総研山の会のS氏(総SL)が様子を聞きに行くと仲間が沢の穴に落ち込んだので救助のヘリを待っているとか。ヘリの姿が見えたが悪天候で有視界飛行のためか、小屋まで接近してくれない。見過ごせない状況なので、4時半過ぎにT総リーダーの緊急事態宣言で全員救助体制に入る。(救助の様子は文末参照)
約2時間の救助活動後、遭難者の容態も落ち着いたようなので6時半に夕食を取り、9時前には就寝。夜間、トイレのため小屋の外に出たら、星空と白石の街の灯りが美しかった。
5時半起床。朝6時過ぎヘリが小屋上空に飛来した。ホーバーリングしながら救助隊2人が降りて来て遭難者の容態を確かめ、ホイストでヘリに吊り上げ刈田病院へ搬送された。ホーバーリングの際の下降気流はすごい勢いで、晴天なのに吹雪の中の状態となり、記念に写真を撮ろうと思ってもうまくいかない。
我々ランドネ組は折角の好天ではあったが、ビンディングトラブルもあり、遭難者の仲間の2人を早急に澄川ゲレンデまで下山案内する必要もあり、当初予定していた刈田岳には登らず下山することとする。
朝食後、小屋を出て多少クラスト気味の井戸の壁を慎重に下り、9時頃ゲレンデに着く。ゲレンデの救助隊の一室で遭難事故の事情聴取を受けた(ここには登山届も出ており、事情聴取には東京南部山スキークラブ ラ・ランドネの名前を出しました)。その後、エコーラインを下り、遠刈田神の湯で温泉と海鮮丼を楽しみ、帰宅した。
(大坪 記)
M大学OB山岳会3名の救助活動報告:
小屋で4時過ぎに産総研の仲間と一杯飲み、差し入れの鹿肉のルイベを食べながら歓談していた。小屋の外で「おーい」との救助を求める人の声を耳にして、S氏(総SL)がスキーで降りて様子を聞きに行く。小屋から約50m下方にM大学OB山岳会のボーダーKさんと山スキーヤーASさんの2名が携帯電話で警察にヘリ救助の連絡を終えて、ヘリを待っていると。
遭難地点は井戸沢右岸のその場所から更に傾斜45度、約20m下方の井戸沢であり、その沢の小滝にテレマーカーのAKさんが落ち、ヘリを待っているが既に約1時間経過しているとの説明。その内小屋からヘリを遠方に目視できたが、小吹雪で視界が良くないため接近してくれず、何度か爆音は聞こえたが引き返した様子。
そこでT総リーダーから4時半過ぎに救助活動指示が出され、遭難者が仙台の人らしいとの情報に、産総研山の会の仙台在住の女性から「仙台と聞けば見離せない」との声で全員出動となる。小屋に装備されていたザイル数本を持って川久保(L)、S総SL、他が遭難現場に駆けつけた。現場は雪面に直径3m程の穴があいており、その1mほど下に水面があった。
当初、遭難者はもはや雪面下で流れてしまい見つからないかも知れぬとの推測話もあったが、捜索者の雪崩ビーコンにも受信音があり、穴の近くで声をかけるとAKさんからかすかな応答がある。ザイルに輪を作り穴に下ろすと輪っかに体を通したのか、ザイルを引っ張る気配がする。
川久保(L)から「遭難者は生きているぞ」との無線連絡が入り、小屋に救助用スノーボートと寝袋、補助ザイルを降ろす指示が出さる。それを聞くと遭難者の仲間はうれしさがこみ上げたのか泣き崩れていた。その内に現場に駆けつけた全員でザイルを引き上げると、胸まで水に浸かっていたAKさんの姿が少し雪面上に現れた。一同まずは一安心し、更に全力をかけてAKさんを引き上げるも、雪の縁に頭がつかえてえらく手こずる。現場にいる全員の総力で何とか引き上げることが出来た。
ズブ濡れのAKさんをすぐに寝袋で包んで、スノーボートに入れた。周囲の者は始終、「AKさん、しっかりしろ」、「AKさん、もう少しだ、助かるぞ」と声を掛け励ます。ボートには3本のザイルを結び、そこから約45度20mの急斜面を、ザイルで引き上げる人、下から押し上げる人と、ボートを確保する人に分かれてボートをこじ上げて、その後、更に距離50m程の緩斜面を引き上げて小屋に収容(5時45分には救助用具、スキー、ワカンなど収納)。
小屋ストーブの少し脇で濡れた服を脱がせ、温かい衣服に着替えさせて、全員交代して震えているAKさんに乾布摩擦を施す。
当初意識が朦朧としていたAKさんは、7時頃には意識もしっかりし、体の震えも止まり、少し落ち着いたら温かい飲み物を摂らせた。その内、人に支えてもらいながらトイレも行けるようになった。夕食後、AKさんの容態落ち着いてから、仲間のKさん、ASさんが起立して、救助者全員に対し謝辞と自己紹介があった。
(大坪 記)
川久保リーダー総評
以上のようなわけで遭難者にとっては不幸中の幸いで、遭難現場が小屋に近かった事、小屋には約20人の人間がいた事、清渓小屋にザイルと寝袋、救助スノーボートが備えられていた事など、幸運が重なり2時間弱の間、胸まで冷たい水に浸かりながらもAKさんは命拾いをされました。
産総研山の会とラ・ランドネのチームワークも見事に行き渡り、私達も遭難救出法の実地訓練が出来ました。今後参加者の皆様から色々なご意見が出ると思いますが私の得た教訓は
(1)未知の沢を下る時は落とし穴が無いか、慎重の上にも慎重を期す事。
(2)パーティーは5人以上いた方が良い。
(3)共同装備として8mm/20m程度のロープは必要であり、最後尾の人が持つ事。
(先頭が穴に落ちる確率が大きいから)
(川久保 記)