2006年GW 日本オートルート 個人山行報告

プロローグ
 今から30年以上前の事。働き始めたばかりの職場に、スイスとフランス国境にある「欧州加速器共同機構(通称:セルン)」からきたYさんがいた。彼は山もスキーも少し素人の域を超えた程度であったが、その当時日本では三大北壁ブームで高田光政さんとか山岳同志会の人々が、ヨーロッパアルプスへ行ってはYさんのお世話になっていて彼らの山行記録にYさんの名前が載っており、Yさんは知る人ぞ知るの有名人であった。ある時Yさんが撮影した「オートルート」の8mm映写会があり、それ以来「オートルート」に行くことが僕の夢となった。
 その内に日本にも「オートルート」がある事を知り、ここに是非行ってみたいと思っていた。しかし、「ヨーロッパ・オートルート」ならプロガイドに連れて行ってもらえるだろうが「日本オートルート」は山スキーのエキスパートのみしか許されないコースであろうと思い込み、僕にとっては「夢の又夢」であった。
 今年3月栂海新道・朝日岳に行った時、風雪のテントの中で村上さんにGWの予定を聞いたら「今のところ無い」との事。断わられてもともとと「日本オートルートを案内してもらえませんか?」と聞いたところOKの返事。僕に加え、つくばの友人に声をかけたら彼とその山仲間2人、それにランドネの野村さんが参加する事となり計6人のパーティーとなった。

5月1日(月)

上野発23:53急行能登は、人身事故があり20分程遅れて出発した。車内はガラガラで、一人で二人分の座席が使え、ゆっくりと寝る事が出来た。


5月2日(火)

室堂0950〜1205……一ノ越1320〜1336――御山谷登り返し1347……鬼岳肩1429――コル1505……獅子岳1557――ザラ峠1713……五色ヶ原山荘1823


定刻50分遅れで富山駅に着いた。9:50 室堂着。外は小雨と霧である。「雨が止んでから行きましょう」との村上さんの指示で、待合室でジッと雨の止むのを待ち正午に出発。ガスで何も見えないのがかえって良かったのか、シンドイと思う事もなく一の越に着いた。
 小休止後、御山谷方面に滑り出し、竜王岳を右に見ながらトラバース、約200m下った後鬼岳へ登る斜面でシールとクトーを付ける。竜王岳方面は岩峰が連なり、はなはだアルペン的である。登り詰めると鬼岳のピーク手前に出る。ここでシールを外し、鬼岳のピークを巻きながら獅子岳とのコルを目指す。
 獅子岳までは稜線通しである。獅子岳15:57着。視界が100m程開けてきた。頂上直下は急なので横滑りで下ると、急にガスが無くなりザラ峠の向こうに今日の宿泊地である五色ヶ原山荘が見える。傾斜が急で雪面が固く、村上さんは快調に滑っていたけれど、残りの連中は苦労しながら下って行く。
 殆どの人はかなり下まで滑った後、右にトラバースしたが僕は斜面の途中で、斜滑降で峠まで下りるルートを見つけて内心「しめた!」と思った。ところがトラバースの途中部分的に氷状の場所があり、かなり緊張し足にも負担がかかった。
 無事ザラ峠着。振り返ると獅子岳からトラバースした我々のシュプールがきれいに見える。ここで又シールを付け本日最後の緩い登りとなる。五色ヶ原山荘18:23着。空は完全に晴れ渡り、周囲が一望出来る。静かな夕べである。小屋は雪の穴の中にすっぽりと入っている状態であった。素泊まりだけで食事は出せないとの事で一人5,500円払う。村上さんと僕が持っていたジフィーズで暖かい食事を作り、それに行動食を分け合って夕食とする。 
[本日の水平行動距離は7.9km]


5月3日(水)

五色ヶ原山荘0514……鳶山0551〜0603――中間コル0634……越中沢岳0749 〜0754……中間コル0941――スゴ峠1030〜1053……スゴ乗越小屋1147……間山1322……北薬師岳1523……薬師岳1651〜1708――薬師峠1746……太郎小屋1811


 快晴無風のピカピカの天気である。蔦山への緩い登りをゆっくりと行く。蔦山でシールを取り、ちょっと滑ったら雪が着いていない所に出て、しばらくスキーを担いで這松の中を歩く。すぐにスキーを付け右に山を見ながらトラバースしたが、先行した村上さんが待っている地点に着く直前で遠藤さんが20mほど滑落して止まった。斜面は急だし、昨日の雨で雪面が固くなっていてかなり恐い場所である。その後ろの野村さんも滑落し、殆ど同じ地点で止まった。
 山田・安仁屋さんは何とか行けたが、最後尾の僕は緊張して足がコチコチに固まってしまい、滑り出したら前に滑落した二人の箇所よりずっと手前で滑落し、5m程ずり落ちて止まった。そのまま右に回り込み、緊張しながらトラバースを続けて何とか緩い場所に下りる事が出来た。
 振り返ると急な斜面に我々のトラバースの跡が付いている。あのまま下まで滑落したらと思うとゾッとする。後で村上さんの話では、雪の固い時はトラバースを止めて面倒でもピークを忠実に辿る方が安全だとの事。
 蔦山と越中沢岳とのコルでシールを付け、越中沢岳への広大な緩い尾根を登る。頂上近くになると少し稜線が狭くなり、越中沢岳着。晴れているが気温が低く雪面は固い。直下は急なので横滑りで下り、その後、山を右に見ながらのトラバースで下る。ここから雪がなくなりスキーを担いで夏道の急斜面をコルまで下り、コルから雪が出ているが急登となり、バケツのような足場を、スキーを担いで登る。
 スゴ頭の北西側30m低地に着き、ここからスキーを履いて滑りスゴ峠に着く。野村さんがスゴ頭のトラバース中100mほど滑落して右腕を大きく擦りむいてしまった。ガーゼで覆って応急手当をする。傾斜はそれ程ではなかったが雪面が固いので油断して転ぶとなかなか止まらない。振り返ると野村さんの転んだ後があり、大事に至らず良かったと思う。村上さんの話ではこの地点までで今度の山行でのスキーの難しい箇所は終わったとの事でホッとする。
 木がポツンポツンと生えている緩やかな稜線を行く。屋根だけが雪から出ているスゴ乗越小屋を通り過ぎ、北薬師岳着。疲れた時の心理状態からか手前の小ピークが北薬師で、今の地点が薬師岳と思っていたら本当のピークはまだまだ遠くにあってガックリする。北薬師から少し下った所で、稜線はストンと落ち込んでいる。稜線から一旦逆戻りする方向で金作谷側に20m程下りた後、反対に向きを変え、山を右に見て水平方向にトラバースする。傾斜が急なのでかなり緊張した。村上さんの話では雪が今年ほど多くない時はスキーを担いで稜線を行くとの事。
 ようやく薬師岳に着いた。もう午後5時近くである。事前に地図を見た時は下りとはいえ太郎平小屋まではかなり遠い。又、薬師岳からの下りはかなり急であるように見え、疲れた体で雪面が固く締まる夕方に無事下れるかと不安であったが実際は傾斜が緩いトラバースで快適であった。頂上付近ではところどころ岩が出ていた為スキーの滑降面が傷付いてしまった。小屋まで下りだけかと思っていたら薬師峠から高度差にしてあと100mほど登らねばならない。シールを付け、ようやく太郎小屋着。長い長い13時間の山行が終わった。
[本日の水平行動距離は16.7km] [本日までの総水平行動距離は24.6km]


5月4日(木)

太郎小屋0707……北ノ俣岳0905〜0925――中俣乗越0945〜0951……黒部五郎岳肩1130〜1147……黒部五郎避難小屋1213〜1303……三俣蓮華岳1515〜1535……双六小屋1627


 今日も快晴・無風である。昨日と違い今日は大勢の登山客がいる。広々とした台地をゆっくりと登り北ノ俣岳着。下には有峰湖が美しく輝いている。シールを外して滑降準備。赤木岳を右に見ながらの長いトラバースの滑りである。あっという間に中俣乗越に着く。シールとクトーを付け、黒部五郎岳の頂上はパスし左側の鞍部を目指して登る。上に登るにつれ傾斜が急になって来る。鞍部についてカールの下を見ると黒部五郎小屋が豆粒のように見える。
 カール滑り出しは急でちょっと緊張したが、一回ターンを決めてしまえば度胸が付き次々にターンして下ることが出来た。カールを滑り終えたが、山田さんがなかなか下りて来ない。どうしたのかと思っているとやっと下って来た。「思うように滑れない」との事。もしかしたらスキーの滑降面に雪が付いているのではとチェックするがOKである。しかし遠藤さんが目ざとく、山田さんのクトーが下りている事を発見した。このクトーはゲレンデスキーの流れ止め金具のように予めスキーに取り付けられており、クトーの付け外しにわざわざスキーを脱ぐ必要はなく180度の回転でクトーがON/OFF出来る優れものである。しかしよくぞクトーをつけたままでここまで滑って来たものだと一同感心する。山田さんの話では「悪戦クトー」であったとの事。
 正午過ぎ黒部五郎小屋着。避難小屋は使用可能で、太郎小屋の弁当と村上さんの作ってくれたコーヒーを飲む。
 食後、三俣蓮華岳を目指してゆるい傾斜を登って行く。ここから見ると三俣蓮華岳や双六岳が屏風のように聳えている。黒部五郎岳を振り返ると急峻なカールに我々の付けたシュプールが輝いて見える。風は微風。最高の気分である。三俣蓮華岳着、20分ほど休んで、稜線伝いに双六岳方面に向かう。後を振り返ると平坦な広い尾根を通って来た事がよく分かる。ここでシールを取り双六岳を右に見ながらトラバースして、尾根を右に回り込んだら双六小屋に着いた。
[本日の水平行動距離は17.6km] [本日までの総水平行動距離は42.2km]


5月5日(金)

双六小屋0507……樅沢岳0551〜0625……コル0644……硫黄乗越0713……千丈乗越1010〜1030……槍ヶ岳山荘1150〜1201……槍ヶ岳山頂1228〜1237……槍ヶ岳山荘1336〜1415――ワサビ沢1709――横尾山荘1735


樅沢岳の稜線は雪がついていないが、南斜面をシールとクトーをつけて登り樅沢岳着。スキーをリュックに付けアイゼンを履く。

 ここからは西鎌尾根が延々と続き、その向こうに槍ヶ岳が凛として聳えている。ここから急に痩せ尾根の下りとなり両方が切れ込んでいる。程なく無事コルの広場に到着。痩せ尾根通過に随分神経を使ったのでコルで小休止。西鎌尾根は登ったり下ったりの連続で、標高2,700mを越えない尾根筋が続く。稜線は所々雪がなくなり夏通を歩く。
 所々岩場のトラバースもある。千丈乗越に着く。この辺りから急激に登り雪面の斜めトラバースになり、その後直登となる。野村さんは村上さんにアンザイレンしてもらって登る事となり、それ以外の4人は先行する。
 正午前、ようやく槍ヶ岳山荘に着いた。すぐに槍ヶ岳頂上を目指して出発する。ルートは登りが左側、下りが右側と別れていて3級の岩場を少し登った後、殆ど垂直の梯子を3回ほど登り頂上に着いた。360度全部見える。下山はところどころ鎖が埋まっているので、しっかりした手がかりがなく、岩に触りながらアイゼンとスキーストックでバランスを取って下らなければならない。
 全員山荘に戻り、食堂で一番豪勢な食事を取って槍ヶ岳登頂のお祝いをする事になる。しかしながらメニューはカレー(1,000円)だけであった。これから先は登りはなく、槍沢をスキーで下るだけである。以前この山行を頭の中で思い描いていた時に一番の「至福の時」だと想像していた場面である。ところが滑り出すと雪がネットリと重く、思うようなターンが出来ない。数回ターンすると疲れて一休み、なかなか先頭の村上さんが待っている場所に辿り着けない。
 やがて傾斜がゆるくなり、殆ど直滑降で滑り下りる。赤沢岩小屋辺りから雪面がボコボコになり、沢には穴も出て来て滑りづらくなる。その内狭い谷が終わり広い河原状となり、スキーを登高モードにしてクロスカントリースキーの要領で滑らせながら歩いて行った。ワサビ沢を過ぎた辺りでとうとうスキーを諦め担いで歩き出し、横尾山荘着、ゆっくりと風呂に浸かった後、無事に終了した山行を祝ってビールで乾杯する。
[本日の水平行動距離は17.2km] [本日までの総水平行動距離は59.4km]


5月6日(土)

横尾山荘0740……明神と徳沢園との分岐点0848……上高地バス停1209


ここから上高地まで11kmの標識有り。最初左岸を、スキーを付けて滑らせて行ったが、程なく全く雪のない林道に出てこれからはスキーを担いで黙々と歩く。  明神と徳沢園との分岐点に来る。普通なら徳沢園経由で行くのだが土砂崩れで通行止めとの事で梓川を渡って川の右岸を行く事になる。上高地のバス停に着き、僕の夢であった「日本のオートルート」は最高の出来で無事完了した。遠藤さんがタクシーの運転手と交渉して松本駅まで1台12,000円で行ってもらえる事になった。3人ずつ2台の車に分乗。「スーパー梓」で19時頃つくばの自宅に帰り着いた。  [本日の水平行動距離は10.5km] [本日までの総水平行動距離は69.9km] エピローグ  今年は例年になく雪が多く、荒れた天気が続いて雪崩による遭難が相次いだ為、今回の山行も天候不順で半分くらいまで行けたら御の字かも知れないと思っていた。ところが昼まで雨だった第1日目(5月2日)を除き最終日の5月6日まで申し分のない天気が続いた。その上、このコースを熟知している村上リーダーの名ガイドと、熟年ながら体力・気力・スキー技術共に優れた楽しい仲間に恵まれて最高の山行が出来た。  これで長年の夢であった一つの課題が終わった。僕は来年3月末に定年になるが、退職後すぐ「ヨーロッパのオートルート」に行って次の夢を完成するつもりである。

(川久保 記)