2006年5月 尾瀬燧ヶ岳 会山行報告

5月12日

藤澤組は赤羽駅21:00集合、一路檜枝岐村樹林荘へ。早川組は22時過ぎに到着し、我々が深夜辿りついたときは早くも白川夜船。小久保組はさらに遅れて到着した模様。朝起きたら小久保CLが服のまま寝ていた。


5月13日 天気:雨

 明け方より雨となる。予想より天候悪化が早い。又雨かとがっくり、いやな予感がする。リーダーより今日は檜枝岐観光とし明日燧ヶ岳アタックとの指示あり。
 何はさて置き腹拵え、皆さん食が進んで朝から食べすぎの体。健康のため腹ごなしの朝寝、又太るかも、と呟くアマゾネス。一眠り後檜枝岐村の自然と文化探索へ。事前情報では御池付近に筑波山麓よりK組(四六のガマ蛙のKではありませんぞ)が出没の由、遭遇するのを期待しつつ、まずは明日の偵察も兼ね御池に出発する。残念ながら恐れをなしたのか発見出来ず。
 その後、ミニ尾瀬公園で白旗氏の写真鑑賞、武田久吉メモリアルでは彼の手帳を解読せんとするも字が小さく読みづらい。武田久吉氏がアーネスト・サトウの息子だったとは知りませんでした。途中K組より連絡があり、今回が3度目の挑戦であったが登頂は断念し温泉&蕎麦で撤退するとのこと。  次に、昨夜開催された愛宕神社祭礼奉納歌舞伎の舞台を見学に。茅葺の歌舞伎舞台に山桜散り、祭りの後の静けさを堪能する。K組の撤退により天候も徐々に回復しているようで、明日は期待できそう。晩餐は樹林荘で熊肉を頂く。普段は出さないそうですが特別にとのこと。食べてびっくり、柔らかく、くせもなくご馳走様でした。


5月14日 天気:小雨、ガスのち晴れ

 小雨の中樹林荘を出立8:50、御池よりガスの中順調に登行。昨夜は冷えたのか雪は結構硬い。早めにクトーをつける。相変わらず回りはガス、熊沢田代には10時過ぎに到着。ルートを頂上へ直登に取るも、2,100m付近で雪は切れ這松・石楠花のブッシュとなる。中館さんが偵察のため勇躍ブッシュに突っ込んだが、いつまで経っても帰還せず。1時間ほど経った頃50〜60m下から現れた。結局100m程下り、夏道沿いに左手より回りこんで登行再開し、ガスの中、俎ー(まないたくら)i 山頂には1時半に到着。個人的には久方ぶりのピークを踏む。ガス無かりせば、あれが尾瀬沼、至仏・・・と周りの景色を解説して頂き一同景色に見とれるところ。
 頂上直下の斜面では中館さんと小久保Lがピック付ストックで、懐かしくて涙が出そうなストップ訓練を始める。ピッケルのようにはうまくいかないようでした。ガスは相変わらずで早々に下降を開始する。下るにつれいつの間にか視界は開け、皆さん快調に飛ばし、2時過ぎには熊沢田代に到着。見上げると頂上付近まで見渡せる好天になった。これも1時間ほどの待機訓練のお陰か。3時前には全員無事御池に帰着。
 今シーズンは特に悪天候に恵まれ、風と雪と山を体感できた山行が多かった中、「燧ヶ岳、会津駒ヶ岳」は来るシーズンには希望のもてるものと暗示させる山行であったと思ってます。今後、更に精進を重ね、禊をし、勉学に励み、雷神、風神、雨神、雪神など八百万の神々に祈りを捧げ、来シーズンに供える所存です。小久保リーダーを始め皆様方大変お世話になりました。
(和田 記)

リーダーから一言:
 ブッシュ偵察で時間がかかりすぎてしまった。時間を決めておけば良かったと反省。結果的には天気が回復して良かった。
 清水マネージャー、中川サブマネージャーには宿泊場所手配から配車、会計など諸々を分担、取り仕切っていただきありがとうございました。その他のメンバーの方も、装備配分や写真撮影など分担でき、一人一人が山行を成功させようとする意識があり、充実した山行になったと思う。今後は美濃の方で計画しますので、お暇な方はどうぞ。え、遠い??
(小久保 記)

燧ヶ岳は尾瀬を象徴する山で日本百名山のひとつ。福島の最高峰であるとともに東北の最高峰で、俎ー(まないたくら)と柴安ー(しばやすくら)からなる双耳峰となっている。燧ケ岳の最高峰は柴安ー(2,356m)であるが、三角点があるのは隣の俎ー(2,346m)である。
(編集注)