スイス・インターナショナル航空でチューリッヒ経由ジュネーブに着く。ガイド斉藤さんとサブガイドのフィリップの出迎えを受ける。フィリップはエベレスト登頂2回(その内の1回は日本の青年を案内)の経験を有すスキーも上手い有能なフランス人だ。車でシャモニーの常宿ポイント・イザベラに投宿。
4月11日は現地通貨への換金と救助保険カルトネージュの付保、買い物、市内見学に費やす。翌日はブレバンから谷渡りのフレジュールの氷河ツアーに足慣らしに出かけるが、午後から急にガスに覆われ、3時に切り上げた。
次の13日朝8時、ロープウエイ駅で合流した斉藤ガイドの案内でエギュードミディ(3,842m)からバレーブランシェに入るも少々ガスが残り、途中のルカン小屋で氷河の野鳥、シュッカ(コクルマガラス)の数を数えながら紅茶を摂り、登山電車のモンタンベール駅へ下る。
朝8時シャモニーを出発。マルティニ経由、ローヌ渓谷のLax駅に車1台をデポ、ゴッペンステインのトンネルを抜けて、インターラーケンからシルトホルンの登り口ステッチェルベルグ村(観光村ミューレンの下部867m)に至る。途中通過したレイチェンバッハ村で山スキー締め具のメーカーであるフリッチ社「ディアミール」の本社工場を右横に見る。
ロープウエイを4回乗り継いで007ジェームスボンドで有名な展望台のあるシルトホルン頂上(2,970m)へ。天気は良くてアイガー北壁からメンヒ、ユングフラウを遠望しながらミューレンの村へ滑降するも、途中コース閉鎖のためTバーでロープウエイの中間駅に登り返し、ゲレンデを見下ろしながら機械力で下山する。
我々がシルトホルンを滑っている間、2人のガイドはグリンデルワルドのスイス・ガイド組合に今回のツアールートの状況調査に向っていた。夕刻クライネ・シャイデック駅(2,061m)の駅舎兼ホテルで合流し、暮れなむアイガー北壁を眺めながら夕食を摂り、写真を撮り思い出を残す。
朝8:45分、ホテル前の登山電車でアイガートンネルを抜けてユングフラウヨッホ(3,473m)へ。展望台トンネルの中でハーネス、ビーコンを装着し、アレッチ氷河の最上端に出る。メンヒヨッホ小屋(3,627m)への登りは、約1時間の緩いシール登高だ。小屋下のコルでシールを外し、氷河の源頭部に滑り込む。広大な氷雪原がアレッチホルンへと続いている。
コンコルディア小屋(2,850m)への高度差800mの途中、一旦ワルシャーホルン(3,692m)のピークへ登り返そうとする頃、急に風が出てきて天候が急変し、見通しも悪くなったのでワルシャーホルンは止めてコンコルディア氷河原に降り立つ、エヴィングシュネーフェルド氷河下端の急斜面は最悪の雪質で、ガイドも転ぶ悪雪であったが、横滑りを交えて安全にだましだまし下った。コンコルディア小屋の下部にスキーをデポし、約100m上部にある小屋へ14:00鉄階段を登る。
朝7:50小屋を出て階段を下り、8:05スキーを履いてグルンホルンのコル(3,280m)を越え、適度な深雪の滑降を楽しみながら、フィンスターアールホルン小屋(3,048m)へ12:00移動する。
6時起床し7:40出発。小屋正面のウイスノーレン(3,590m)のピークへ登り、その後、北斜面の深雪をおよそ650m滑降は楽しいものだ。正面にフィンスターアールホルンを望み、自在に斜面にトレールを描く思い出のトレールは後ほど小屋から思い出深く見返せたものだ。同小屋に12:50帰り着く。
6:45凍てついた氷河を250m下り、オーバーアールヨッホ小屋(3,256m)へ向う途中ボーダーガルミホルン(3,517m)の頂きまでスキー登高する。この頂上からのスイス全方向の眺望は今回のベルナーオーバーランドの中で一番すばらしいものであった。バリス山群の雄、マッターホルンも見える。
ボーダー・ガルミホルン山頂(3,517m)
山頂から氷河原へ下り次の小屋へ向う、下り斜面の途中で、全員7人のはずが6人の姿しか見えず、一人足りない。全員声で名前を確かめたところ、直井さんの姿が見えない。上方にちょっとした小さなクレバスがあり雪で埋まっていた傍を通過したばかりだ。直井さんの名前を呼ぶが返事がない。ガイドは青い顔になり、すぐにシールを着けて登り直そうとした時、上方に黄色いヤッケが雪面上に現れる。直井さんだ。全員一安心。しばらくして降りてきた直井さんに聞くと、滑走中めがねが曇り、前方が見えずにちょっとした数メートルの窪地に落ち込んで抜け出すのに手間取った由。それはクレバスが雪で埋まっていたものだ。何事もなくよかったと安堵。滑降を継続し、やがてシール登高となり、コルの左崖約30m上に建つオーバーアールヨッホ小屋(3,256m)に13:00至る。
6:50小屋を辞してオーバーアール湖への氷河を約30分滑走して湖面(2,303m)に降り立つ。湖面はすべて厚い氷で覆われており、小屋の主人から割れることはないと確かめていたので、7人は順次スケーティングを交えてダムの堰堤までスキーを滑らせる。電力会社の管理用テレキャビンを左にみながらグリンセルパスへの小高い丘(2,480m)へ。
ここから見返す湖とオーバーアールヨッホは一枚の絵葉書になるような美しいものであった。先頭のフィリップはどんどん右上の高みへと歩みを進め、ついにグリンセル峠を見下ろす稜線(2,700m位)に達した。ここで小休止。ここからは地中海に流れ込むローヌ渓谷と、北海に流れ込むライン川の分水嶺であるフルカ峠が見える。稜線沿いに一気にグリンセル峠にあるブリックホテルへ(2,161m)滑り込んだのが11:25であった。
テラスでビールを楽しみ、シールを乾燥させた。その夕食後、小野田さんがロビーに置いてある1フランを入れて機械で4曲奏でるヨーデルを聴いていたら、宿の主人から生演奏を聞きたいかと訊ねられたので「勿論」と返ずると、彼は愛用の手風琴を取り出し演技たっぷりに地元のスイス民謡を奏でてくれた。更には奥さんが古いラッパ型の蓄音機で昔の懐かしいヨーデル曲をレコード盤で聴かせてくれた。この蓄音機は有名なグラモホンの前のモデルだとか。
朝ブリックホテルの主人がキャット(雪上車)で滑走できるところまで送ってくれたので、距離2kmほどの登りを省くことができた。キャットを降りると、真下にオーベルワルドの街並みと鉄道が見下ろせる。ツアー最後の滑降は、林道のガタガタの堅い残雪を滑らせ街の端に至る。オーベルワルド駅まで約15分歩き、鉄道で10分のミュンスター村に移動し、今夜の宿ダイアナホテルに入る。午後は村の中を散策する。手入れがいたらず古く朽ちかけた木造建築は、床柱にねずみ返しが施してある。教会はカトリック様式だ。村のCoop店頭でできたてのサンドウッチをほおばり、一週間の疲れを癒す。ここでベルナーオーバーランドのツアーは無事終了したので、ガイド2人はグリンデルワルドに駐車した車の回収に向う。
このダイアナホテルは前々日のオーバーアールヨッホ小屋にミュンスター町から直接登ってきたブラジル人を含む一行から、気持ちのよいホテルだと聞いて宿ったものだ。ホテルはガルニ式(ベッドと朝食提供のBB)だが、夕食は隣接のレストランで料理選択方式であったので皆同じものに統一してもらう。地方のホテルなので、宿の人びとは英語が全く通じず料金を確かめるのも困難であった。
ここまで天候に恵まれ、小屋での停滞もなく予定通りに終了したので、余った予備日の2日をジュネーブへ戻る途中、マルティニからブール・サン・ピェール村に入り、セント・バーナード救助犬で有名なサン・ベルナール峠のホスピス(僧院)に一泊することした。このホスピスは10世紀頃からイタリーとスイスの国境を越える旅人の救護所として開設されたもので、管理はカトリック教徒の修道士と山岳ガイドのボランティアで運営されている。
マルティニから車で約30分、オートルートの中継地シャルドネ・コルから降りてくるシャンペ村への分枝路や、ディス小屋に至るベルビェール・スキー場の分枝、グランコンバンを越えるバルソレイ小屋への分枝を通過してブール・スーパーサンピェールスキー場の大きな駐車場に着く。
駐車場で一泊ツアーの支度を整えて、不要なものは車に残し、テレキャビンで約900m上がる。山頂駅(2,800m)から11:00ガスの中を、滑降コースの北面からホスピスのある南面へ廻りこむのだ。最初急斜面のトラバースに難渋し、キックターンで一旦引き返し、山スキーヤーのために設けられた小さなトンネルを抜けると、難なく南面に抜け出てサン・ベルナール氷河を見下ろすことが出来た。行けども行けども左斜滑降で、ホスピスを見上げるところまで下り、少しのシール登高で峠のホスピスに午後1時に到着、2時間のツアーであった。
ホスピスに到着すると神父による歓迎のお茶の儀式が待っている。修道士の一人がポットを高々と捧げて、各自の大きな湯飲み茶碗に「甘茶にカッポレ」とばかり注いでくれる。ホスピスには礼拝堂、宝物館があり見学は自由。金井さんは夕食前に礼拝堂で修道士がお祈りを捧げる巡り合わせにミサを傾聴した由。夕食後、ホスピスの歴史と活動を紹介するビデオが映写され、神父から救助犬「ジャスティー」の紹介と訓練ショーがあった。付属の博物館が夜になって開いていたので、峠の自然や生息生物、ローマ風古遺跡やナポレオン遠征の歴史展示を見学し、2段ベッドに就いたのは9時を過ぎていた。
ツアー最後の日となる朝8時にホスピスを辞して、ザックをデポしシールとクトーで北西面の稜線を頂きまで登る。ここからはイタリアとフランス側の山並みが見渡せられ、北にはモン・ベラン峰、グランコンバン峰が、南西には小サン・ベルナール峠が見下ろせる。スイス、イタリア、フランスの三国境は北西方向のモン・ドレン峰だ。ガイドが示す峰の名前は憶え切れない。
この晴天の眺望は尽きる間がない。やおら滑降に入ると、下から「ジャスティー」を先頭に、神父がガイドを勤める一行がスキーで上ってくるのに出会う。ホスピスでザックを回収して、ブール・サン・ピェールへ下る氷河のカールを右に左にと滑り、やがてこのツアーもテレキャビンの駐車場に至り、すべての予定が終了だ。
車でマルティニ町に戻る途中、サン・ピェール砦の古跡と村の街路、教会を見物する。列車でジュネーブに出るには十分な時間があるので、駅前でガイドと最後の食事を共に摂り分かれる。
ジュネーブではいつもの駅前ベルニーナホテルに泊まり、夕食は中華料理で締め。
朝ジュネーブを発ち、チューリッヒ経由、24日早朝成田に戻る。