2006年1月 白馬天狗原 会山行報告

1月6日(金)

シニア・グループ4名は19:30長津田駅集合、田原車にて一路仮眠予定の鹿島クラブ(広大山岳部OB有志が保有する小屋)に向かう。連休前夜にも拘らず道は空いており、順調に中央高速を走り、豊科を抜け大町へ。豊科までは雪は殆ど無く、大町に近づくにつれ急に路肩の雪壁が高くなってくる。 鹿島クラブに12時前に到着。年末来連泊の広大OB2名を起こしてしまう。
後続のヤング・グループ3名はクラブへの進入路を見つけられず、シニア救助隊が出動、ようやく合流。小宴会の後、就寝。

1月7日(土)

7時起床、出発8:30。栂池高原スキー場に到着するもゴンドラ周辺の駐車場は既に満杯。漸く無料駐車場を見付け、雪の中を出発。ゴンドラ終点より最終リフトに乗り継ぎ、馬の背上部より栂池自然園への林道に滑り込みシール登行を開始。
たいした量ではないが雪は降り続いている。徐々にトレースは消えラッセルとなる。ここでは上林機関車が威力を発揮、雪を蹴散らしていく(流石SLの声)。降雪の中の登高は何と静寂そのもの。同じルートを辿った40年前の春山合宿を思い出す。
天候も芳しくなく天狗原は断念、2,000m付近にヤング、シニア2張のテントを設営。早速食事の用意にかかる。シニア・グループは某氏山の神に下拵え賜ったチキンカレー。水を入れすぎ予備のルーを全て入れ、漸くカレーらしくなる。ここで思わぬ問題が発生。何とシニアの中にナス嫌いが!某ゲストなどは結婚した途端に野菜嫌いを直され、今やすっかりマトモになっているというのに未だに甘やかされている者が。好き嫌いの激しい子を持った親の気持ちが良くわかる。
ヤング・グループのテントから「甘エビ・・・・」の話し声が聞こえてくる。猪俣シェフが差配するヤング・テントは全く別次元。早速ご相伴に預かるべく酒を抱え隣へ押し入り、暫しの宴会となる。

1月8日(日)

6時起床。ラーメンを食して後、雪の中、天狗原に向け粛々とシール登高開始。やはりスキーは登りに限る。快調に高度を稼いでいく。風雪の中、天狗原に到着。小蓮華山はこの天候では無理とシールを外し、パイプの煙も無く早々に下る。
いよいよ忌まわしき滑降開始。風雪による視界の悪さ、風により若干クラストした雪面。重い雪の為か(?)約1名は集中的に猛吹雪に襲われるが、先に行ってくださいとも言えず恐縮するのみ。残る6名は吹雪の中寒さを堪え、唯待つのみ。ほうほうの体でテントサイト経由、ゴンドラ上部のレスト・ハウスに到着。余りの体たらくに愕然としたが、よく考えれば北海道時代も同じことを繰り返し、皆さんを待たせていたのを思い出す。ただ北海道の雪のほうがもう少し良かったと、雪のせいにする。 レスト・ハウスで大休止。皆さん思い思いに飲食を楽しみ、暫しの休息。その後、4名はテントサイトへ、リーダーと共に夫々異なる思いを抱く計3名はゲレンデを一気(?)にゴンドラ乗場に下る。
途中、ついに見かねたリーダーより忠言、「全くスキーになっていない、スクールに入り、一からやり直しなさい」。これにはいたく傷ついたが、顔には出さず、ただ無言で堪える。スクールに行く気など全くなし、「これでええんじゃけん」と突っ張る。
変に山慣れた昔山屋の年寄には困ったものです。疲れた体に鞭打ち、ゴンドラ・リフトを乗り継ぎ、テントサイトに漸く到着。今夜は村上リーダー献立のすき焼き、大量の肉を食う(よく担いできたこと!)。食後は昨晩に続き、皆さん酒を抱えて隣のテントへ。約1名は深い反省と、人に倍する疲れからか一人シニア・テントでキーパーを決め込みまどろむ。

1月9日(月)

夜半より風も無く、満天の星。愈愈地獄の下山日。モルゲンロートも何故か眩しく、心は暗い。それでも雄雄しくスタート。先行組は既に姿も見えず。リーダーの叱咤、激励を受け両足を踏ん張り、息を切らしながら、何とか踏ん張りジリジリトと下降。下るにつれ徐々に大胆になり、急斜面をトライし、何とか下り切る。ゴンドラ上部のレスト・ハウスで先行組と合流。何と先行組は20分で降りたそうで。ということは、我々はその時、未だテントサイトにいた(?)。
レスト・ハウスより気持ち良くゲレンデを滑降し駐車場へ。全員無事下山、おー「シーハイル」。

(和田 記)