5月1日 晴れのち雨

五色ヶ原山荘452……鳶山530……鳶山と越中沢岳のコル638640……越中沢岳通過730

……越中沢岳とスゴの頭のコル着830……スゴ乗越925935……間山付近12001220……北薬師通過1438

……薬師岳15521606――薬師岳避難小屋通過1625――薬師峠16361640……太郎平小屋1710(泊)

 

330起床。すぐに朝食を摂る。

朝焼けの中出発。今日の行程はとてつもなく長い。

前夜阿部さんと中山さんと3人で絶対バテないように、そして気力を振り絞ってでも1日で越えましょう、と誓い合った。それを見透かしたように、長坂リーダーが一言「時間はあるので、焦らず確実に行けば大丈夫」と。

天気予報は晴れのち雨。どうにか1日もってほしいと願う。鳶山の東斜面をトラバースする。堅いザラ目の斜面にシールのみで登りきった。クトーを着ければ、なお安心感が増すと思った。

                                              鳶山から越中沢岳(左)と薬師岳(右)を望む

鳶山からの尾根の下りは、途中まで雪が付いていて斜滑降で降りられたが阿部さんと宮本のみが安全のため歩行アイゼンを使った。途中で雪が無くなり、全員が担ぐことに。尾根が東側(黒部側)に切れ落ちているので、雪のない西側をハイマツ帯の中に分け入り、夏道を所々使いながら2,356mのコルまで下っていた。スキーやストックがハイマツに引っかかって進みづらかった。

 越中沢岳の北斜面をシール登高する。シール登高の方がかなり楽である。途中雷鳥の鳴き声を聞いた。天気は確実に下り坂のようである。頂上付近は雪がなかったので、板を手に持って雪が繋がっているところまで移動した。その後シールを付けたまま尾根の下りに入った。斜滑降で滑れるが所々クラックがあり、左右は切れ落ちているので油断できない。慎重に下る。ここは長坂リーダーが出発前に最も危険なポイントの挙げている場所だった。それでもまあ、何とか大丈夫かな。こんなものか、とホッとする。

しかしそれは非常に甘い認識だった。愕然となった。廊下沢が大きい口をあけている。白い底が見える。落ちたらまず数百メートル止まらない。絶望的な滑落になるだろう。鈴木さんがまずトラバース。そして追うように中山さん、阿部さんと順次トラバース成功。次は、私の番だ。3人が滑った跡がレールのようになっているので、止まらずに思い切っていけば大丈夫。なるべく谷を見ないように。見ないように…。さあ!ところが、廊下沢を一瞬視界に入れてしまい、怖くなって止まってしまった。これがいけなかった。止まったとたんに足元が崩れかけた。落ちる!と思った瞬間渾身の力を込めてストックに付いたピックを突き刺した。止まった!が肝心の足元は安定しない。シールを付けたまま滑ってきたので、エッジが全く利かないのだ。あれほど強く打ち込んだのに腐った雪なので手元もジワジワと緩んでくる。手がぶるぶる震えてきた。先行した3人が懸命にアドバイスしているが耳に入らない。周囲の景色も歪んで見えてきた。昨シーズンの白馬鑓中央ルンゼ、針の木マヤクボ沢の滑落が頭の中をよぎった。もういやだ!「俺だって…俺だって…」気合ももろとも思い切ってスキーを前に出してレールに乗せるとだいぶ安定した。

その後体勢を立て直して、無事に合流することができた。その場でへたり込んでしまった。最後尾の長坂リーダーが一瞬見えなくなった。まさか!落ちた?と皆が青い顔になった瞬間、目の前にひょっこりと姿を現した。ああ、びっくりした。先頭を行った鈴木さんは、自分に意志でというより、やはり滑落しそうになってトラバースせざるを得なかったとのこと。それを言い出す前に皆がドンドン来てしまった、ということだ。十数メートルが恐ろしく遠く感じた。後で考えると、このトラバースを乗り切ったことが、運命の分かれ道だったと思う。

 

スゴの頭(左)と薬師岳(右)を望む

恐怖のトラバースを皆で話しながら、暫しの休憩。眼下にスゴ乗越が見えた。薬師岳までの稜線もくっきり見える。まだまだこれからが本番だ。スキーを担いで、越中沢岳とスゴの頭間のコルに到着。

先行パーティーがスゴの頭に向かわず、そのままコルから滑りスゴ乗越方面にトラバースしている姿が見えた。これに習って我々もトラバースした。途中登り返しがあったが、無事にスゴの頭を巻くことができた。スゴの頭を登り、そこから滑走することが定石ということ。先行パーティーの中には2,000m付近まで滑り、つぼ足で登り返しスゴの頭を巻いている人たちもいるようだった。スゴ乗越でエネルギー補給。ここからは薬師岳まで距離も長く、ずっと登りである。絶対バテないぞ!と気合も入れる。

シールで登っていくとスゴ乗越小屋の赤い屋根が見えた。屋根ばかりでなくテラスまで出ていて、2年前に比べるとだいぶ雪が少ないということ。そのまま間山に向かう。稜線に出るとかなり強い風が吹いてきた。天気も曇りがちになってきている。間山の少し手前2,500mで昼食。長坂リーダーが「昼の時点で何処まで行っているかが、この日の一つのポイント。ここまで来ていれば、まず大丈夫。」とメンバーを安心させる。引き続き「あとは天気が何時まで持つか…。薬師まで持ってくれれば。」と空を見上げる。その空はもう灰色。北薬師岳を登っている先行パーティーの姿か見えた。

 

      北薬師岳稜線の雪庇

北薬師の稜線は東側(黒部側)に猛烈に雪庇が発達していた。ただし雪の量が比較的多く、稜線はずっと雪が付いていた。崩壊している雪庇もなく、ずっとシールで登ることができた。北薬師まで行ってしまえば、薬師岳はもう完全に射程距離だ。あと少しだ。

ところが、その心の油断につけ込んできたように北薬師山頂直下でとうとう雪が降り出してきた。この雪はやがて霙に変わり、遂には激しい雨になった。一時止んでいた強風も再び吹いてきた。雨と風の狂喜乱舞といったところか。出発してから10時間経とうとしている。宮本の山スキー行動時間は今年1月の西吾妻約8時間30分が最長であった。すでに未知の時間帯突入していた。

雨の中北薬師山頂から薬師岳の間のコルまでスキーを担いだ。その間も絶え間なく風雨が襲った。標高3,000m近くの稜線での激しい風雨は我々をかなり痛めつけた。口を利く者もいなくなった。近くのはずの薬師岳が絶望的に遠く見えた。徐々に先頭で進んでいる鈴木さんとの距離が開いてきた。

体がバテるというより、精神的に余裕がなくなり、気持ちが折れそうになった。私は今日初めてうなだれてしまった。中山さんのシールも利かなくなり大苦戦しているようだ。阿部さんも下を向いて黙々としまっている。前夜の誓いも空しくなるか…と思われたその時「さあ、もう少しだ!ここまで来てるんだから、もう大丈夫だぞ!」と長坂リーダーの声。思わず3人ともハッとした。「おう!」と気合の声が薬師のカールをこだまする。とうとう薬師岳を登り切った。

薬師如来像が安置されていたといわれるお堂の下で滑走の準備に取り掛かった。ガスが出てきて、視界は徐々に悪くなってきている。しかし、皆の表情は生き生きとしてきた。さっきまでのさえない表情は一体何だったのだろう。これからの大滑走を前にして思わず笑みがこぼれた。

薬師岳頂上直下で東側が切れ落ちている尾根を下りきると、徐々に広い斜面になっていった。赤い屋根の薬師岳避難小屋付近までは長坂リーダーを先頭にルートを確実にしながら進んでいった。ガスが切れて薬師峠を見下ろせる地点からは、皆で大滑走。雪は雨を含んで重いザラ目だったが、今までの苦労を吹き飛ばすように軽快に滑走していった。あっという間に薬師峠へ到着した。いつの間にか皆笑顔で口数も多くなった。

 峠から少しの登り返し、太郎平小屋に向かった。太郎平小屋は砂漠に浮かぶオアシスのような気がした。小屋を目の前にして並走する阿部さんとやったぞ!と思わず万歳。本当に遠かった…。でも無事に乗り切ったんだ。荷物も体も全てずぶ濡れだったが、充実感から心だけは温かかった。最大の難関を越えて夕食の会話も弾んだ。中山さんの喜びはひとしおのようであった。阿部さんも宮本も「やったねえ!」と何回言い合ったことか。長坂リーダーも鈴木さんも一安心といったところ。皆それぞれよい表情をしていた。

 

 

 

5月2日 雨のち晴  太郎平小屋停滞

昨日の到着後風雨はさらに強くなり、夜半まで土砂降りになって小屋の屋根を叩いていた。朝起きても雨は小降りにはなっていたが、まだあがっておらずガスで周囲は見えない。

天気予報では昼から天気が回復するということであったが、ずぶ濡れの荷物を乾かすために1日停滞を決定。皆それぞれの休日を楽しんだ。中山さんと阿部さんは、太郎山まで滑りに行ったようだ。外に出てみると2人のかっこいいシュプールが雪面に描かれていた。宮本は改めて薬師岳を眺めた。大きい山である。今度は是非晴れた日に滑ってみたい。薬師沢へ滑り込むコースも面白そうだ。午後ヘリコプターが到着して、宿泊客がどんどん降りてきた。GW中一番の混雑と言うこと。夕方の天気予報は5月3日〜5日まで全国的に晴れると伝えていた。これからの行程が明るくなった。 → <4月30日に戻る> 53日へ進む>                                                                                  

 

      太郎平小屋から薬師岳を振り返る。                     北ノ俣岳・黒部五郎岳を望む。