2005年4月 富士山(須走口)会山行報告
日程:2005/4/9(土)〜10(日)
4/9(土)
アザミライン第一ゲート10:00……シール登行11:30……須走避難小屋14:00
3月催行の会山行が延期され、今回実施されました。数日前に山梨で最高気温30度を越す異常気温が記録され、長坂さんから雪がどんどん融け出しルートを変える連絡が入る中、車組と電車で御殿場組が長坂さん宅前のコミニュティーセンター駐車場に9時10分に集合。
須走口へ向うが、小富士の雪が融けてドーナッツ状になっており、長坂さんからのどんどん雪が融け出しているとの情報を実感する。先日、宮本さんとの山行では開いていたはずの第一ゲートは封鎖されており、わき道の林道に駐車を余儀なくされる。
スキーを担いで1時間の歩行予定で沢道を登り始めるが、なかなか雪が無くアザミラインを歩く。快晴無風で汗が吹き出る。先頭を矢口会長、長坂さん、中山さんが談笑しながら進む。こちらは、汗を拭きつつ10m以上遅れて話す余裕も無い。1時間30分後、漸くシール登行開始。
スキーを降ろせた幸せも束の間、今度は、小屋はまだかと寡黙になり、まったくわがままである。ふと見上げると、やはり富士山‘’おっきィ〜‘’。 登りたい。
予定通り14時避難小屋到着。聞いてはいたが、立派な小屋であり、周りは樹林帯。富士山のイメージを変えさせられるロケーションである。一休み後、木村さんは経験のため長坂さんの指導で雪洞堀り。矢口会長は監督?
阿部は中山さんの講師で滑落停止訓練。岡安さんと五十嵐さんにお付き合い戴く。急斜面を求め場所を移動、登りでは急斜面と思っていたが滑落のようには滑らない。早々に切り上げ小屋に戻ると、大きいな雪洞が出来上がっており本日の行動終了となった。
小屋に設置されている小学校の木の椅子を屋外へ持ち出し、ビールで乾杯。都会の喧騒を忘れ夕暮れ時を思い思いに耽っていると、丁度富士山頂へ太陽が陰り、幻想的な夕日にまたまた感動である。
薪ストーブを焚きながら、小屋へ備え付けの上等な日本酒を戴いていると、岡安さん、木村さんの手早い夕食が出来上がる。満天の星空を堪能しながら明日の山行の成功を雪洞の神棚にお願いして就寝。
4/10(日)
避難小屋05:50……2,750m地点(6合5尺)08:10――避難小屋10:00〜11:25――林道12:15……第一ゲート13:25
明朝4時起床、風が強い。今日はピストンなので最小荷物で5時50分出発。出発時からクトーを装着して大坪さんのトップで高度を稼ぐ。樹林帯を抜けると眼下には一面の雲海。既に2千メートルを超えている事を実感する。連休の訓練を兼ねて、長坂さんから登行ルートを指示されトップを登る。木曾御嶽で学習した一定の傾斜角度とキックターンをしないよう、大きく旋回しながらの登高を心掛けるが思うように行かない。その事に集中していると、長坂さんから‘’ルートを変えるな〜‘’とのご指摘。変えているつもりは無いのですが???
少し進むと又、下からリーダーの声が。今度は、近くにこぶし程の落石であった。風が強く、音にも気づかず突進していた。トップの周りの状況判断や、ルート取りの重要性を改めて感じさせられる。何度目かの休憩で、リーダーから本日登りの打ち切り指示と説明を受ける。GPSでの標高が2,750m。この高度までは、早朝にもかかわらずアイスバーンは無かったが、風が強く滑落の危険が増すとの判断。ここまででもメンバー何人かの、服、クトー入れの袋が風に舞ってしまう状況を目の当たりにすると、山頂登高中止がほっとするやら、行きたいやら複雑な気持ちが交差する。慎重にシールを剥がし、滑走準備に入る。ここから見る富士山は、いつも下から眺望する形ではなく、又新たな発見であった。リーダーの滑降指示が出て、貸し切りの富士山をバックにめいめいが思い思いのシュプールを刻む。あまりにも時間が早いため、登り返しや、アイゼンでの登行、小屋での休息と自由行動となった。
5月中旬でも五合目に雪があれば、再度山行を考えるとの長坂さんの言葉に、新緑に包まれた素晴らしい小屋泊まりを想像しながら、今度は頂上への気持ちを新たに帰路についた。
(阿部 記)