針ノ木岳山行報告書
日程:2001年5月19日〜20日
参加者:A・B班 成瀬(L)後藤 木村彰 上林(SL) 猪俣 曽我部
:C・D班 杉原(SL)奥山 武田(会計)小林 池田 佐藤啓子 森(記録)
19日のみ:奥村 倉崎 奥村婦人(ゲスト)木村洋子(ゲスト) 木村萌(ゲスト)
計 18名
5月19日(土)
数台の車に便乗し、大町の奥村邸別荘に午後6時に集合。奥村邸はネパール製赤レンガの煙突をシンボルに持つ、とても落ち着いた佇まいであり、爺ヶ岳の眺望が素晴らしい。奥村婦人お手製の田舎煮、新鮮なかつおの刺身、野菜サラダ等が大きなテーブルに盛られ全員車座的に座り食べ、飲み、談笑をした。明日の晴天を祈って10時過ぎに床についた。
5月20日(日)
コースタイム:奥村邸6:50===扇沢7:30、8:00---標高1615M(大沢小屋手前、シール登高開始)---マヤクボ沢11:00---標高2110M(昼食)12:00,13:00---標高2500Mコル(最高点)13:20、13:40〜雪渓の終わり14:40---扇沢15:05
天気は申し分なし。誰の行いがよかったのか。東京に帰える奥村夫妻に送られて奥村邸を跡にして、扇沢に向かった。雪がどこまであるのか、気にしながらつぼ足で歩きはじめる。所々雪があり、約30分歩き、木村母娘、倉崎と別れ雪渓を歩きはじめ大沢小屋の手前でシール登高を開始した。最初は沢の右岸を登り小屋を越えて沢の中心にコースを変えた。A班、B班と分けてはいたが、最初は全員が一列になって進む。天気、見通もよく、脚力の違いかじょじょに縦長の列になりつつもマヤクボ沢に黙々と足を運ばせた。コースは斜度も適当、雪は十分あり、さほど雪質も悪くなく、途中気持ちよさそうに滑走しているスキーャーもいて先の楽しみをかみ締めていた。沢なので雪崩はどうかなと思ってもみたが、デブリは消えてしまったらしく、不安は全く感じられなかった。マヤクボ沢につく頃から登高に差が出てきた。沢に入り暫くすると最高斜度のなり、板を履いての登りに苦労をしたが標高2100M地点に到達した。ほとんどとんどが板を担いで登るほでであった。途中リタイヤ数名を除きたどりついた。ここからの後立山連邦(五龍岳、鹿島槍、爺等)の眺めが絶品で疲れも取れるほど。時間的に頂上は無理のため、コルまで登り立山、剣を見ることで最後のひとふんばり。8名が今回の最高点のコルからのこれまたダム、立山、剣の眺望を楽しんでいよいよ標高差約1000Mの待望の滑走だ。
上林さんを先頭にトレインをしながら、数百M滑っては止まり、また、滑ってはを繰り返しながらどんどん高度を下げていった。上部は雪は粗目で思いのほかしまっており、急斜面あり、幅も広いので雪質の良いところをコースを選びみんな豪快に大滑降を楽しんだ。標高が下がるに従い、雪は悪くはなってきて石があちこちに見られたが、この時期にしては経験者の言葉をかりれば上出来のこと。途中リタイヤ組みともマヤクボ沢入り口で合流し、とにかく楽しんで滑走を終えた。扇沢に徒歩でくだり、残留組と合流し、ホテルで入浴後に解散した。大変満足の行く一日であった。
大滑走に魅了され、このコースの人気度が上がって、来年の参加者数は増加するであろう。最後になりましたが、宿泊施設、食事の提供等種々ご配慮頂きました奥村ご家族にお礼を申し上げます。
(記)森
リーダーの反省と課題、良かった点
1.スキーアイゼン着用指示を的確にしていたらコルまで行くことが出来人がいたかもしれない。私の状況判断ミス。
2.参加人員が8〜10人以上になった場合の担当責任者は、山行全てを追うのでなく、山行中と下界での宿泊等の手配準備担当と任務を分けるべきだった。山行中もだが、山行準備段階での段取りも散漫になり、肝心な山行での指示が行き渡らなくなる。山頂から滑降できた人もいたはずだった。
3.良い点は来年の山行につながった事だ。