日程 : 1999年4月29日(土)〜5月5日(金)
参加者 :
村上静志(CL/報告)、金井多計子、合田英興、土屋秀二
当初、上林さんと大雪の縦走を会山行として計画していましたが仕事の都合で上林さんが参加できなくなり、大雪の計画は来年に延ばす事にして、以前から考えていた北アルプスの横断を試みる事にしました。メンバーは大雪を希望していた金井さん合田さんにアルプスだったら参加したいと言っていた土屋くんと私、岡安さんが風邪の為不参加となり4名での出発となりました。コースは上岡新道--太郎平小屋--薬師岳--太郎平小屋--黒部五郎--祖父平--雲ノ平--岩苔乗越--水晶岳--東沢谷--真砂岳--五郎沢--湯俣岳--湯俣--高瀬ダムとして、薬師岳東南綾から薬師沢右又、黒部五郎カールより黒部川、水晶岳(小屋)より東沢谷、湯俣岳より五郎沢の四ケ所を滑りのポイントとしました。装備はロングコースをいかに軽くするか。食料は通常の物を2日分とアルファー米2日分とスープ、行動食を各自多めに用意してもらいました。燃料は225gのガス4本。テントは私のゴワの3〜4人でよいと思ったのですが、テント生活が長くなるので居住性を考え、会の4〜5人用にしました(その為1k重たくなった)。他にスコップ3本、20mのロープ1本。予定では小屋2泊、テント3泊、予備日1日の合計7日の計画でした。
4/29(土)
富山駅でメンバー合流、始発の高山線から神岡鉄道に乗り換え飛騨神岡へ。予約したタクシーで神岡新道へ向う、しかし今年は雪が多くトンネルまで雪の上を歩く。トンネルの上で最初の休憩、そこでトラブル発見、合田さんのデアミールの踵のピンがなくなり靴をセットできなくなったが何とか針金で縛って事なきを得る。皆さん御注意を。天候は上々、寺地山を過ぎ北ノ俣の斜面に入るが私は昨夜の列車からのどが痛くて力が出ずピッチをあげる事が出来ない。1時間ごとに休みを取る、他のパーティも初日と重荷のせいか同じ様なペース。4時も過ぎて北ノ俣岳に付く。さあ下れば小屋だと滑り出すが夕刻の腐れ雪に捕まりなかなか小屋に近づけない、早く付かないと夕食が頼めなくなる。やはり夕食は自炊になった。小屋には数人の客、小屋の人に昨年もお世話になった事を話すと我々のお陰で?賑やかだったそうだ。食堂で自炊をするが転倒をくり返した合田さんは食事がのどを通らずコタツで寝てしまった。悪雪の滑りは経験が物を言う、さらなる努力に期待しよ。夜になって薬師を越えてきた何パーティかが到着する。薬師越えもポピュラーになつたが力不足の人たちも増えたみたいだ。
4/30(日)
今日は薬師に登って東南綾から薬師沢右股に滑る計画。天気はいまいちだが視界はよいので出発する、私ののどの痛みは取れず後ろからのろのろ付いて行く。山頂に近づくが気温は上がらず昨日弛んだ雪が硬くなっている。山頂で記念写真を撮ってから中央カールに滑り込む。途中の硬い斜面で少しもたついている。土屋君はビュンビュンと滑ってくる、が見ている方はハラハラ。南東綾に登り返して薬師沢の斜面に入ってみるが、どうも硬そうで私達の腕では手に負えないみたい。通常のコースを滑って小屋に帰る、滑り足りない土屋君は薬師沢に滑りに、年寄りは小屋でゴロゴロ。横断するだけなら薬師に登る必要はないのだが東南綾からの滑りを本日のハイライトにしていたので楽しみがひとつ無くなってしまった。
5/1(月)
天候は昨日より悪くなったが金井さんに貰った風邪薬のおかげでのどの痛みが無くなった。少し遅めに出発、北ノ俣の山頂に近づくが風とガス、前が見えない。少しでも進みたいと言う意見も出たが、この状態では労多くして何とか、もし雨にでも会って濡れてしまうと乾かすガスの余分も無い。小屋に引き返す事にする。しかし少し下ると風が亡くなりそこにテントを張る事にした。風対策にテントをブロックで囲むが夜になって天候は回復に向かった。成りゆきと言えばそれまでだが、その為1日分の食料とガスを使ってしまい予備日分が亡くなった。リーダーの失敗、小屋に戻るべきだった。
5/2(火)
快晴の朝を迎える。どんどん滑って黒部五郎の下に向かう、途中大きなクマの足跡が赤木沢の方に続いていた。土屋君を先頭に黒部五郎の斜面を登る。彼は昨年ここを登っているのでコース取りも彼に任せる。以後、先頭土屋ビリ村上で進む。稜線で休んでいると山頂から二人の若者が近づいてくる。初日の神岡新道の登りで一緒だった人たちで五郎の小屋をベースにしているそうだ。本日のハイライト黒部五郎のカールを滑り黒部川に向かう。カールの急斜面を降りて南東に滑っていくと細い谷に入ってゆく、少し重たい雪。黒部の本流に交わると小さな雪原になっていた。川の側でお昼に、正面に黒部五郎の東斜面の白い壁が美しい、機会があれば滑ってみたい所。午後、川を渡り祖父沢を登り雲ノ平を目指す。途中合田さんの秘蔵のアイスコーヒーをいただき、4時前に祖父岳の頂上斜面に付いた。雲ノ平を一望できる斜面のくぼ地にテントを張る。雪が降れば埋まりそうだが風にはは強そうだ。しかし穏やかな夜を迎える。
5/3(水)
天候はまあまあ、祖父岳山頂に向かう。東に水晶が黒いピークで立っている。祖父岳から見ると雲ノ平から岩苔乗越の北斜面(高天原に向かう斜面)に大きな雪庇はあるが、祖父岳からつないで滑べられそうで、そうなればこの部分も面白くなるだろう。その代わり乗越までの登り返しが付いてくる。今回は夏道通しに乗越しに下るが又昨日の若者達に会う。(北ノ俣から湯俣までに会った人は彼等だけだった)そこから2時間ぐらい登って水晶小屋に付いた。とりあえづ荷物をおいて100名山の水晶岳にアイゼンをつけて登りに行くが以外と時間がかかった。(水晶岳から重荷で谷に滑るのは難しそう)戻って小屋の前の眺めはいいが吹きさらしの小さな広場?にテントを張る。眼下に東沢谷が予想以上の大きさで広がり絶景。夜になって風が吹いてきた。
5/4(木)
起きると風は治まったが一面ガスの中、風上に寝ていた土屋君は寒くて眠れなかったそうだ。起こしてくれれば良かったのだが、寝ている年寄達に遠慮したみたいだ。吹きさらしの稜線で周りにブロックを積んでいなかった(雪が硬くてブロックを集めるのが難しかった)のが良くなかったのだが、2本ポールでこの大きさのテントは風に弱い、少し戻って水晶と鷲羽岳の稜線のくぼ地に張るか、エスケープが難しくなるが東沢谷の下に張るかだが景色の良さで勝手に決めてしまった。
10時位になって晴れてきたので出発。地図で見ると1枚バーンの様に見えるが大きく斜面が変化している、少し慎重に滑る。ここは滑るのも素晴らしいが下からの眺めもなかなか、いつかは水晶岳から滑ってみたい。緩くなる2200mあたりからトラバース、休みを取って真砂岳の登りにかかるが、登った斜面が以外に急で高度が増すに従ってシビアになってきたが土屋君のコース取りも良くて無事上部の緩やかな斜面に出られる。ここから野口五郎と真砂岳の鞍部を目指して登ると風が強くなってきた。稜線に出ると猛烈な風。誰かさんがウロたえていたようだ。五朗沢の斜面におりて風を避けどう進むか考える。スキーを担いで綾線伝いに湯俣におりるのは辛いので計画通り五朗沢を滑り下り、途中から湯俣岳に登り返すことにする。初めての所でうまく登り返しできる所が見つかるか少々不安だったが滑り始めるとそれも何処かに行ってしまう。だんだん谷が狭くなって落下物に気をつける、雪は十分あって空いている所もない。2100m位の所まで来ると稜線にシールで上がれそうな沢が見つかった。成せば成るもの。(このまま滑って高瀬川まで行けたかもしれないが出口に高い砂防ダムがあり長いロープが無いと降りられないかも)ジグザグを小さくくり返し最後はトラバースして湯俣岳手前の鞍部に辿り着いた。皆疲れているのでここにテントを張る事にした。まじかに雪が多いせいか真冬のような北鎌尾根と槍が、ここもなかなかの風景。残り少ない最後のガスで水を作り、わずかな物で夕食を作るとガスは無くなったが明日は湯俣に下るだけだと思うと何か楽しい。
5/5(金)
最後の日、快晴。湯俣岳に登り夏道ぞいにスキーで下る。木が密生している所を強引に下るが滑りやすい所を選ぶと夏道から逸れてしまう。下まで高度で200m位の所でやはり岩場に出てしまった。仕方なくスキーを担ぎ夏道に戻り雪の付いた急坂をおりると下まで続いていそうな小沢に出たのでスキーで下る。途中水が出ている所で腹一杯飲んで最後は歩いて湯俣温泉の一段上に出た。道がないので土壁をロープで河原に降りて皆と握手する。後は高瀬川ぞいの長い道を高瀬ダムまで歩いてツアーを終えた。今回のメンバーに感謝。
村上 記